本連載「ア・ピース・オブ・警句」は、筆者である小田嶋隆さんが亡くなられたことにより完結すべきところですが、今後は、小田嶋さんの文章を愛する方々の声を、「小田嶋さんへの手紙」として不定期に掲載していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
小田嶋さんの逝去が報じられてすぐ、意外な人から、弔意と「連載を愛読していたことを伝えたい」というメッセージが届きました。ソニーグループ副会長で、同社のエレクトロニクス部門を率いてきた石塚茂樹さんです。
連載を担当してきたY(※)は、小田嶋さんが結んでくれた縁、と、勝手に解釈させていただき、インタビューに伺いました。(※連載担当編集者は複数おりますが、Yがもっとも期間が長く、一番ずうずうしい奴、ということで)
初めまして。こういう形でご連絡をくださって本当にありがとうございます。
石塚茂樹さん(以下、石塚):いや、あくまで個人的に、楽しく読ませていただいた御礼を申し上げたかっただけなので、インタビューに来ていただくなんてつもりじゃなかったんですけれど(笑)。
私もビジネス上のいい話に無理やりくっつけるつもりはまったくございませんので、小田嶋さんの連載をご愛読いただいたお一人としての、ファントークをしていただければ、小田嶋さんも喜ぶかなと思ってお邪魔しました。ちなみにいつぐらいから小田嶋さんの文章をお読みでしたか?
石塚:実はそんなに古くないんです。ここ数年のニワカです。連載が始まったのっていつでしたっけ。
「ア・ピース・オブ・警句」は2008年10月31日開始ですので、13年以上前になりますね。
石塚:最初からの読者ではないですね。リンクで過去にさかのぼって読みましたが。どういう経緯で始まったんですか。
もともとは学生時代からの小田嶋さんのお友達の、岡康道さん(「『旅立つには早すぎる』~追悼 岡 康道さん」)が、アルコール中毒で活躍の場を失ってしまった小田嶋さんに機会をあげたい、ということで、ジャーナリストの清野由美さんを介して、編集部に「小田嶋と自分の対談を連載しないか」とお話が来て、それが日経ビジネスと小田嶋さんとのなれそめです。
石塚:そうだったんですか。それがあの、岡さんと小田嶋さんとの対談企画ですよね。あれは最高に楽しかったです。
「人生の諸問題 令和リターンズ」ですね。ありがとうございます。お二人とも相次いで亡くなられてしまって、残念ながら最終回になってしまいました……。
石塚:自分は千葉の地味な県立高校生だったので、「70年代の都立高の高校生は、こんなに奔放で破天荒だったのか?」と、びっくりしました。

まずはイラストがいいですよね
石塚さんが「ア・ピース・オブ・警句」で、好きだったところ、あるいはお好きな回はどれでしょうか。
石塚:いっぱいあるので選ぶのは難しくて。でも、まず、つかみのイラストがいいですよね。絵って自分でお描きになるんですよね。
ええ、そうです。
石塚:いや、文章を書けて絵も描ける、これが信じられなくて。言葉込みで面白いですよね。忖度抜きでの体制批判を結構頻繁にされていて、しかも、はっきり言ってはいながら、しゃれを入れて面白くしているからちょっと和らぐ。本文もそうですけれど、日本語の能力がすごいじゃないですか。
そうですね。連載担当者は私を含めて全員、イラストを見るたびに吹き出しつつもひやひやしていたと思いますが。
石塚:小田嶋さんは、多様化する意見を結構幅広く見られていて、そのどちらかに立つんじゃなくて、どっちも突くんですよね。それも直球じゃなくて、普通と違うところから来るんですよ。「どこに行っちゃうのかな」と思いながら読んでいると、「ここに着地するのか」という。ただ、ときどき「あれっ、着地してるのかな」っていうことも正直あったんですけれど(笑)。
すみません(笑)。
Powered by リゾーム?