[画像のクリックで拡大表示]

 ここしばらく、ウクライナ情勢が気になっている。
 自分でも驚くほど熱心に、関連報道を追いかけている。
 もちろん、私のような者が、あれこれ分析したところで、どうなるものでもない。このことは、重々承知している。

 ところが、昔と違って、しばらく考えてみてわからないからといって、
「わかんねえよ」
 と、すっぱり無視することができない。

 トシを取って弱気になっているせいなのか、ウクライナで暮らす病人やご老人の身が案じられてならない。

 不思議な心理だ。

 ある地域なり国に、内戦や戦争の危機が迫っているような時、昔は、なによりその土地で暮らす子供たちの身が心配になったものだった。

 それが、いまは、子供たちの生命や健康を案じつつも、むしろ病に苦しむ人々や、現地で暮らすお年寄りのことが気になる。
 それだけ私がトシを取ったということでもある。

 じっさい、自分の周囲に、具体的な存在としての子供たちを見る機会は、ほとんどなくなってしまった。トシを取るということは、自分自身が年齢を重ねることでもあるが、自分を取り巻く環境が、丸ごと高齢化することでもある。その、環境の高齢化に伴って、「子供たちの危機」という事実が、私の中で、切実な具体性を失いつつある。これはこれで、寂しい話だ。

 もうひとつ、戦争の危機を伝える報道に触れたケースで感じる変化は、
「もし自分が兵士だったら」
 という可能性なり絵柄なりを、私自身が、想定しなくなっていることだ。

 これは、かなり驚くべきことだ。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り4420文字 / 全文5124文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、11年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。