この原稿は、とある都内の病院のベッドサイドに設置された硬い椅子の上で書いている。というのも、私は、またしても入院しているからだ。
 先週と今週の当欄は、だから、病院からの出稿ということになる。
 自分ながらよく働く病人だと思っている。
 病的な勤勉さと申し上げても良い。

 じっさい、
「勤勉は貧困の一症状である」
 と言えば言えるわけで、十分な資産なり年収なりを手にしている人間は、病院で原稿を書くみたいな無茶はしない。

 でもまあ、ものは考えようだ。

 原稿を書く稼業の人間にとっては、適度な貧困こそが、気詰まりな原稿の一行目をタイプするための理想的なスターティングガンということになる。書かなくても食えるのであれば、私は一行だって書かなかっただろう。それほど、執筆という作業は、書き手の心身をすり減らすものなのだ。

 そういう意味で、これまでのライター生活の40年が、おおむね適度な貧困に恵まれた月日であったことには感謝している。デビュー作がうっかりベストセラーになっていたりしたら、私はそれっきり何も書かずにアルコールに耽溺していたはずだ。だとすると、私はすでにこの世からいなくなっていたことだろう。感謝せねばならない。

 今回の入院は救急車で搬送された緊急の入院ではない。
 あくまでも治療のための入院だ。
 新たに開始することになった治療は、通院でも対応可能なものなのだが、毎日病院に通う手間を考えると、いっそ入院したほうが楽だろうと考えた次第だ。その意味では、計画的な入院という言い方もできる。いずれにせよ、大きな心配はいらない。

 とはいえ、8月に入院したばかりなのに、またしても病院のお世話になっている状況に心を痛めている読者もいらっしゃるはずだ。甲子園大会の言い方になぞらえるなら、2015年からの7年間で、「3ヶ月ぶり7回目」の入院ということになる。穏やかならぬ頻度だ。訃報欄の常法としては「晩年は入退院を繰り返し……」てなことになるのだろう。

 ん?

 私はすでに晩年を生きているのだろうか。

 私がどう思っているのかにかかわらず、客観的に見れば、その可能性はある。晩年コラムニストの晩年コラム。多少ありがたみが増すだろうか。

 今回は、晩年について考えていることを書いてみようと思う。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。