
大阪の話をせねばならない。
気が重い。
というのも、最大限に気を使った表現を心がけても、話題が大阪に及ぶと、高い確率で、大阪の人々の反発を買う結果になるからだ。
これは、昔から変わることなく続いている傾向だ。
オダジマは、大阪では好まれていない。
残念だが、このことは認めなければならない。
当欄でも何回か書いたことだが、20代のはじめの頃、私は、大阪の豊中市というところに8カ月ほど住んでいたことがある。その当時から、自分がどう振る舞っても誤解されることに、当惑を感じたものだったのだが、その印象は現在に至っても変わっていない。
ものを言っている当人の自覚としては、特段に気取っているつもりはないのだが、私の素のしゃべりは、彼の地では
「気取っている」
というふうに受け止められる。
ほかにも
「インテリぶっている」
「ええかっこしいやな」
「あえてややこしい言い回しで人をケムに巻こうとしている」
と、評判は、さんざんだった。
私としては、普通の関東の言葉をしゃべっていたにすぎないのに、だ。
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