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 この一週間ほど、「しゃべる」ことについて考えている。
 私たちは、話をする対象が個人なのか、不特定多数であるのかによって話し方や話の内容を微妙に変化させている。また、クローズドな環境で話をするのか、オープンな環境で話すのかによって、あるいは、対話の内容が記録されるのかどうかで、話題を使い分けている。まあ、当然ではある。気のおけない親しい友人と、その場限りのジョークを投げつけ合うみたいな対話は、もはやレアケースなのだろう。
 あらためて考えてみるに、語り手が自在にしゃべっているつもりでいる「話」にしたところで、21世紀に突入してからこっち、いつの間にやら、オープンな場所に漏れ出てしまっている。さらに、われわれの「話」は、公的なコンテンツとして記録・共有され、不特定多数の他人によって野放図に拡散される次第になっている。
 つまり、われわれは、しゃべることの自由を喪失しつつある。
 インターネットが情報のベースになって以来、それまでカジュアルに消費され、短時間で揮発していた話題は、永遠に記録として残る「データ」に様変わりした。
 と、20世紀の間は、無責任な書き飛ばしが大目に見られていた雑誌記事や、言いっぱなしが当たり前だったテレビ電波の発言に、「責任」が生じる環境が整備され、あらゆる「話」が「炎上」のネタとして、あらかじめリストアップされることになった。
 これは、われわれが考えているよりも、ずっと深刻な話なのかもしれない。

 こんなことを考えたきっかけは、岸田文雄新総理大臣 の就任会見を見たからだ。私が、こんなふうに他人の話を精密に聴いたのは、久しぶりのことだ。
 第一印象は、素晴らしかったと申し上げて良い。
 私は、岸田さんの話し方と話の内容に、わがことながら、びっくりするほど素直に感心していた。
 正直な話、菅義偉前首相や、その前の安倍晋三元首相の会見での話しぶりと比べると、雲泥の差だと思った。
 なにより、言語が明瞭で話の内容がストレートに伝わってくる。
 こういうことは、アベスガ(←ここでは、2012年に発足した第二次安倍政権から菅政権に至る9年弱 を「アベスガ」の時代として総称する)の治世下では、ついぞなかったことだ。
 アベスガの時代、総理大臣が、記者の質問に対してまっすぐに答えることはまず考えられなかった。彼らは、はぐらかしたり、質問の骨子と違った回答を投げつけてきたり、あるいは質問者の真意を意図的に誤解するのが普通だった。ほかにも、理由を説明せずに対話を拒絶したり、無意味な一般論を繰り返したりしながら、ほとんどまったく記者が繰り出してくる質問に誠実な回答を提供することをしなかった。
 そんなふうに、質問を無力化させることが、彼らの考える「有能さ」だったわけで。われら一般の国民も、半ばほど、その退廃に毒されていた。
 だからこそ、安倍政権の時代に官房長官をつとめていた、菅さんによるけんもほろろのメディア対応を
「鉄壁」
 などと評していたのである。
 私たちもまた、まひしていたわけだ。

 そんな背景を踏まえて、私は、当初、岸田さんの話しぶりに、すっかり感心してしまっていた。
「ああ、本当に久しぶりに人と人の間でかわされる、人間らしい対話が、政治の場に戻ってきているではないか」
 と、そんな感慨を抱いたほどだ。

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