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 9月中旬以来、全メディアを独占する勢いで大量報道されていた自由民主党の総裁選挙は、昨日(9月29日)投開票がおこなわれた。
 決選投票にもつれこんだ選挙戦の結果、岸田文雄前政調会長が、河野太郎行政改革担当相をしりぞけて、第27代の総裁に選出された。
 今回は、総裁選の結果を踏まえた話を書く。
 動き続ける政局の現在や未来、自民党の体質、さらには岸田氏をはじめとする4人の総裁選立候補者への思いなど、現時点(9月30日)で私の頭の中を行ったり来たりしている言葉を、そのまま記録することができれば上出来だと考えている。

 7月に体調を崩してからこっち、私は、せわしなく転変する政局を追いかけ回すテの記事の書き方を断念するつもりでいた。その意味からして、本来なら自民党の総裁選のようなどこからどう見ても「コップの中の嵐←(デカいコップだが)」でしかないイベントには、手を出さないのが本当だと思っている。
 でなくても、私は、政局を巡る生臭い出来事について、自分のような素人が、たいして根拠があるわけでもない思いつきや予断を述べることに、気後れを感じている。
 であるから、総裁選に言及するためには、一定の説明が必要だと思っている。それをこれから述べる。

 岸田さんの政見や人柄に関して、私が独自の考えを述べたところで、たいした意味はない。なぜなら、私は岸田さんのナマの人柄について、ほとんど何も知らないし、彼がどんな政策や国家観を胸にこの先の課題に取り組むつもりでいるのかに関しても、およそ知識を持っていないからだ。
 とはいえ、このタイミングで岸田さんが総裁に選出されたことについて、私が、一介の生活者としての率直な感想を述べておくことは無駄ではない。
 というのも、それが妥当な感慨であれ、よしんば見当はずれの思い込みであっても、特定のタイミングで個人が頭の中に泳がせていた考えは、記録しておかないと消えてしまうからだ。その意味で、当たりはずれはともかくとして、
「ああ、オダジマは2021年の9月30日時点でこんなことを考えていたのだな」
 というデータを残しておくことは意味のある仕事だ。
 同様の理由において、岸田さん以外の3人の候補者が選ばれなかった理由に言及しておくことも無駄な作業ではない。

 たぶん、私の予測ははずれるだろうし、私の理想はついえるはずだ。
 しかし、的中する予想や実現する理想にだけ価値が宿っているのではない。
 特定の人間が特定のタイミングで考えていた内容は、常に一定の価値と意味を持っている。このことを、私は、小学校4年生の一年間、担任教諭の気まぐれに乗っかる形で毎日日記を書いた時に学んだ。
「今日から毎日、みなさんが、ノートに日記を書いて来たら、先生はハナマルをつけてハンコを押すことにします。気が向いた人は先生の机のところまで、ノートを持ってきてください」
 とY先生は言った。
 私は、何を鵜呑みにしたものなのか、その日から一年間、ほとんど毎日大学ノート1ページ分の日記を書き続けたのである。

 このエピソードを、
「日記の執筆を通じて自分の文章作成技術は飛躍的に向上した」
 だとか
「ひとつの作業を続けることの真の重要性を私は日記から学んだ」
 であるとかいったありがちな教訓に落とし込む手順を怠らなければ、それはそれで、もっともらしいコラムが一丁上がりてなことになるわけなのだが、事実は違う。日記を書くことで、みるみる文章が上達したわけでもなかったし、日記を一年間書いたことで、根気が身についたわけでもない。日記をつける習慣は5年生になって担任が変わると、あっさりやめてしまったし、私はいつまでたってもひとつのことを続けられないちゃらんぽらんな子供だった。

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