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 先週はお休みをいただいた……と、書きはじめたのだが、やめておく。
「先週は当欄の更新をしなかった」
 と、単にそう書いておくことにする。
 私は休みをいただいたのではない。
 フリーランスで仕事をしている人間が休養をとるのは自己責任だ。私は、自分自身の判断で、連載を中断して休養をとることにした。それだけの話だ。
 それを「休みをいただいた」という言い方で表現するのは、謙虚なようでいて、実のところ無責任な話なのだと思っている。
 私は読者に休暇をもらったわけではない。
 誰かの下働きをしているのでもない。

 いったいに21世紀の日本人は、させていただきすぎる。
 この言い方を用いる人々は、自分が主体的に行動したことを表現しているはずの動詞語尾を「させていただく」「引き受けさせていただく」「お知らせさせていただく」てな調子の使役+謙譲語の疑似敬語に変換することで、危険回避をはかっている。
 ちょっと注意して耳を傾けてみると、ほとんどすべての政治家が
「立候補させていただく」
 という表現を採用している。

 選挙の結果、当選することになるのか、はたまた落選の憂き目を見るのかどうかはともかくとして、少なくとも立候補は、誰かの許可を得て決断する動作ではない。有権者に対してへりくだってみせるお話でもない。完全な自己責任の決断だ。であれば、政治家は、
「◯◯より立候補いたしました◯◯です」
 と、堂々と宣明すべきなのであって、
「このたび立候補させていただきました◯◯でございます」
 てな調子の揉み手をするのはスジが違う。
 中には
「◯◯N区の有権者のみなさまがたの寛大なるご支援を得ることがかなって、このたび立候補という光栄にあずからせていただく栄誉に感激を隠しきれない気持ちを抱かせていただいております◯◯でございます」
 式の思い切り重複した「いただかせていただく」敬語を駆使する気持ちの悪い政治家がいたりする。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。