
最も苦しんでいた一時期、20代の後半を行きつ戻りつしていた頃、私は、自分の苦しみを正確に意識していなかった。というよりも、自分がうまく立ち回っていて、すべてがポジティブな方に向けて動いていると思い込んでいた。
もちろん、そんなことはなかった。
半失業者の暮らしは、なんだかんだで、もう7年目に突入していた。
先の見込みは、まるで立っていなかった。
それでも、なぜなのか、私は堂々と構えていた。
当時行き来していた仲間たちをつかまえては、
「おまえもすこしは将来のことを考えないとダメだぞ」
などと、説教を繰り返していた。
逆に
「おまえはどうなんだ?」
と尋ねられると
「オレか? オレは大丈夫だよ」
と笑っていた。
どうして私があんなふうに自信満々でいられたのか、あるいは、そんなふりを続けることができていたのかというと、これが、笑ってしまう話なのだが、ひとえに岡康道が、自分を評価してくれていたからだった。
岡康道が、なにかにつけて、ことあるごとに、小田嶋隆の才能の確かさを証明し続けてくれたことは、思えば、奇跡に似た出来事だった。というよりもむしろ、16歳の気まぐれな思い込みからはじまった奇跡だった、と説明したほうが適切であるはずだ。
ともあれ、私は、そのほそい奇跡にすがった。そうやって、見通しの立たない暮らしかたを続けてきたことの先に、現在の自分が立っているのだと、いまでも本気でそう思っている。
あいつの『夏の果て』を読んだのは、そんなことをすっかり忘れた、60歳を過ぎた頃のことだ。
頭をなぐられた気がしたことを、いまでもおぼえている。
「おまえには、こんなことができたんだ」
私にとっては、まったくの不意打ちだった。
「どうして、いままで隠していたんだ?」
という、いまでも、その驚きの中にいる。
以下は、岡康道の手による初の長編小説『夏の果て』にあてて書いた、詩のようなものだ。
この作品が岡の最後の長編小説になってしまったことは、返す返すも残念な成り行きだ。この先にどれほどの鉱脈が隠されていたのか、誰にもわからなくなってしまった。それは、とてもとても悲しいことだ。
本当は、岡の一周忌である2021年の7月31日に発表したかった。
それが、7月27日に脳梗塞で倒れて、かなわなかった。いまも、入院中の身だ。この件については、いずれ詳しく書く日がやって来るかもしれない。来ないかもしれない。それは誰にもわからない。
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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