まず、ご自身も高名な五輪アスリートであった橋本聖子氏が、
 「じかに触れ合った子供たちの吸収力を実感」
 している旨を、臆面もなく記者に語っている点が小面憎い。
 これは、橋本聖子氏自身が
 「私のような有名なアスリートと直接に触れ合うことで、子供たちは大きな感動と勇気を得るのです」
 と言っているカタチで、実に鼻持ちならない。
 有名なアスリートは、あらゆる場面でチヤホヤされる生活の中で、自分を
 「感動を与える存在」
 だと思い込むようになる。

 橋本聖子大臣は
 「オリパラ教育」
 という言葉をさらりと口にしている。彼女は、オリパラに触れる経験が、子供たちを望ましい人間像に育て上げるにあたっての有益な機会になるということを、どうやら本気で信じている。

 勘違いもはなはだしい。
 オリパラはオリパラ。教育は教育。それらは別のものだ。
 国家の代表として選出され、メダルを授与された人間は、どこまで思い上がってしまうものなのだろうか。
 ついでに言ってしまえばだが、私は、この10年ほど、五輪のアスリートに限らず、様々な競技のスポーツ選手が、インタビューの機会に、抱負や目標を尋ねられた折の回答として
 「人々に夢を与えられる選手になりたい」
 「被災地の人たちに勇気を与えるプレーを心がけたい」
 「野球を通じて子供たちに夢を与えることが目標です」
 てなことをよどみなく語ることに、毎度目を白黒させている。
 「君はいったいナニサマのつもりなんだ?」
 と、そう思わずにはいられないからだ。

 野球選手なら目標はホームランを打ちたいでかまわない。
 サッカー選手なら、自分のゴールでチームを勝たせたいというのが新年の抱負であったところで、なんら恥じるところはない。
 ところが、昨今のアスリートは、やたらと
 「感動」
 やら
 「夢」
 やら
 「勇気」
 やらといった種類のより広範で社会的な言葉を振り回したがる。
 あまつさえ彼らはそれらを、
 「与えたい」
 と言い募ってやまない。

 いったいナニサマのつもりなんだ?
 と、そう思わないことはほとんど不可能ではないか。
 いいかね? 君たちは模範国民ではない。
 ロールモデルでもない。
 もちろんオピニオンリーダーでもなければお手本でもない。
 ただのスポーツ選手だ。
 そこのところを間違えてもらっては困る。
 いや、私とて、個々の選手が、「われこそは哀れな無名の庶民に感動を分かち与える選ばれしスーパースターなり」てな調子で、万能感を隠そうともせずに調子ぶっこいた発言を吐き散らしているのだとは思っていない。
 彼らは、単に定番の質問に対して、以前ほかの誰かが答えた、ありがちな回答をハメ込みにかかっているだけだ。それはよく分かっている。