東京五輪・パラリンピックは、本当に開催されることになりそうだ。
 まさかそんなバカなことが、と思っていたまさにそのバカなことが、想定した悪夢の外形を保ったまま、真に俗悪で陋劣な安物の悲喜劇として、いよいよ上演の時を迎えるわけだ。
 なんということだろう。
 私たちは、またしても引き返すことのできない“崖の上のレミング”であることを、全世界に知らしめるのだ。
 覚悟を決めておかなければならない。
 われわれは、とんでもないものを目撃するだろう。

 正直なところを申し上げるに、私は、ここへ来て、五輪の醜態を、ちょっと楽しみにしはじめている。
 というのも、これほどまでに壮大な人類史的愚行をつぶさに観察できる機会は、この先、一生涯めぐってこない気がしているからだ。
 2カ月後に、この国で展開されることになっている人間の愚かさの爆発を、私は、細大漏らさず、可能な限り克明に記録しようと思っている。
 一介のコラムニストにできるのは、つまるところ、記録に尽きる。
 提言も批評も皮肉も、もはや用を為さない。
 ただ、正確で詳細な記録だけが、国民的愚行に内在するなけなしの教訓を後世に伝える可能性をかろうじて維持している。私は、その簡単でない任務を粛々とこなすつもりだ。

 もっとも、なるべく早い時期に中止の決断を下して、その旨を、一刻も早く内外に周知せしめることが、各方面への被害を最小限のうちに食い止める最善策だと考える気持ちは、いまもって、私の中では変わっていない。
 とはいえ、これは私がそう思っているだけのことで、必ず中止が実現できるという見込みなり観測なりを踏まえた話ではない。
 じっさい、中止が望ましいとは言っても、いったい誰がどのタイミングで中止を決断して、その決断をどんな手順で人々に知らしめ、さらに、関係各方面をいかなる言葉で説得したら良いのかという話になると、私自身、まるで具体的なプランを思い浮かべることができない。

 大混乱になるだろう。
 もちろん、このまま大会を強行するケースでも、大きな混乱を招く点は変わらない。
 どっちみちひどいことになるということだ。