「怒られ」
という現象が、天から降ってきた一種の不可抗力として自分たちの居住空間の中に突如出現したテイで、彼らは、
「怒られが発生した」
と語るのである。
要するに、こうやって、彼らはあらゆる抗議から身を遠ざけ、すべての感情を他者の理不尽な情動の結果として退け、それらを「お気持ち」と呼んで嘲笑することで、マジメに取り合わない体制を固めている。
「キャンセル・カルチャー」という言い方でひとくくりにしてしまうと、議論が雑になってしまうので、ここは慎重にまとめることにする。
正義が告発側にあるのかどうかは、実際にはケース・バイ・ケースで、一概には言えない。
抗議する者を常に正義の側として定義する乱暴な決めつけから出発すると、世に言われる「キャンセル・カルチャー」のネガティブな面が社会を害する場合も当然あるはずだ。
ただ、今回の3例について言うなら、非は、おおむね女性蔑視を発動したとして退場を余儀なくされた側にあると言って良い。その点では、正しい側が正しく評価されたわけだ。
SNSで散発的にやりとりされている議論を眺めていると、事態が一件落着したかに見えているにもかかわらず、告発者へのリンチがはじまりそうな気配は、一向に衰えていない。
とても不気味だ。
長い原稿になってしまった。
この長くまとまりのない原稿で私が言いたかったのは、
「告発する人間を異端視する世界が終わりになりますように」
ということだ。
私は、自分の言葉で何かや誰かを告発することはないと思うのだが、機嫌の良い人のつぶやきよりは、告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている。まあ、いつもそうできるとは限らないのだが。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!
同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。
私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。
それが日本の私たちの、この5年間だった。
まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。
別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。
ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)
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