ひとことだけのつもりが、けっこう長くなってしまった。
ともあれ、上記の3つの女性蔑視案件の報道を受けて、現在、ネット上では「反作用」とも言うべき怨嗟の声が反響している。
ネット上だけではない。
既存メディアの中にも、世間の反発の気分に乗っかることで、部数やページビューを稼ごうとする動きが顕在化しはじめている。
たとえば、この記事
などは、キャンセル・カルチャー(←社会の中で抗議活動や不買運動が過剰な力を発揮する現象)への反発をそのまま書き起こしたテキストと言って良い。
記事(といっても、昨今目立つ、テレビ番組内のコメントを書き起こしただけのいわゆる「コタツ記事」なのだが)の中で、北村弁護士は、
《 -略- 「今回辞任されるのは、ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が。森(喜朗)さんの発言はボクも納得できなかったけど、世間からの叩かれ方がある意味、異常といえるぐらいすごかったんですね。ああいう状況に陥ると考えて辞任されたのかなと思うと、悪いことは悪いけど、異常にバッシングする雰囲気は少し抑えた方がいいのかなと思います」 -略-》
と言っている。
たしかに、氏が指摘している通り、本来内輪のやりとりであるはずの「企画段階の演出案のLINE送信」が、商業誌の誌面で暴露されていることは、一見、由々しき事態に見える。また、企画段階でボツになった演出案が問題視されて、責任者の辞任につながっている流れも、この部分だけをとらえてみれば、不気味極まりない「密告屋社会の到来」てな話になるのだろう。
しかしながら、前述した通り、本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ。
もうひとつ言っておくなら、北村氏の言う
《ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が》
という感慨は、これまで、女性蔑視ネタの笑いや、容姿差別的な企画案を臆面もなく口外してきた側の人間であればこそ抱くことのできるお気楽な嘆き以上のものではない。
これまで、その「抑圧者」「差別者」「権力者」たちがのびのびと
「生きやすく」
暮らしてきた社会は、とりもなおさず、その彼らの差別や虐待のターゲットになってきた人々にとっては、抑圧そのものだったわけで、その差別や虐待が許されなくなって
「不用意な差別ネタをうっかり口にできなくなってしまった世の中」
が、到来したのだとすれば、その社会は、むしろ、被抑圧者にとっては、のびのびと生きやすくなっているはずだ……という、そこのところをおさえておかないとこの話の全体像は完結しない。つまり、北村弁護士は、ご自身が生きやすく生きていたこれまでの生き方を自省すべき時期に立ち至っていることを自覚すべきなのだ。まあ、余計なお世話ではあるが。
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