今回のコロナ禍についても、少なからぬ日本人が
「日本人なら大丈夫じゃないかな」
という思い込みを抱いている。
しかもその思い込みを支えているのは
「繊細で賢明で上品な日本人なら、適切に感染を防ぎつつなおかつ経済も回すみたいな微妙な舵取りもできるのではなかろうか」
「お上があえて明示的な指示を出さなくても、一人ひとりが高い意識を持っている民度の高いわれら日本人なら、きっとコロナを克服できるだろう」
といったあたりの無根拠な妄想だったりする。
事態は、非常にマズい段階に到達している。
国民の大多数がこういう思い込みを抱くにいたっているということは、われわれがそれだけ追い詰められているということだ。
私は、先の大戦の経過の中で、「神風」という言葉が使われ始めたのが、いつ頃からのことだったのかを、よく知らないのだが、現時点で多くの人々がそれを待望していることは、肌で感じている。
ついでに言っておくと、私は神風は吹かないと思っている。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!
同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。
私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。
それが日本の私たちの、この5年間だった。
まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。
別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。
ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)
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