東日本大震災から10年の節目を迎えて、テレビの画面や新聞の紙面には、震災回顧の企画が並んでいる。
 似たようなトーンの番組に食傷する一方で、10年という時間的な尺度の有効さを、あらためて思い知らされている。

 あわただしい日常に追われていると、どうしても視野が狭くなる。
 日々の仕事に忙殺されている21世紀の人間は、だから、いつしか、過去を振り返ったり、未来に思いを馳せたりする作業を怠るようになる。
 10年を区切りとしたタイムスケールは、そんな調子で近視眼的になっている私たちに好適な時間的視野を提供してくれる。

 たとえば、自分の人生を10年刻みのブロックに分けて、そのひとつひとつに見出し(ヘッドライン、あるいは「章タイトル」)をつけてみるとわかりやすい。生まれてから現在までのひとかたまりの人生に、ひとつの決定的なタイトルをつけろと言われたら、誰であれ、途方に暮れるところだと思うのだが、自分の過去を、10代、20代、30代……と、10年刻みで分類したうえで、それぞれの時期にふさわしい小見出しをつける作業であれば、見当のつけようはある。

 ちなみに私も、さきほど、ものはためしということで、自分の来し方について、6つの章タイトルを考案してみたのだが、あらためて見直してみて、公表すべき作品ではないことがよくわかった。追憶は個人的なものだ。他人と共有するにふさわしいものではない。

 ただ、震災のような歴史的な出来事は、国民的な体験として、あらかじめ共有されている。その意味でも、10年目の区切りを機会に、回顧の特別番組や総括の記事を書くことは、大いに意味のある仕事だと思う。

 今回は、卑近な日常からあえて目をそむけて、震災以来のこの10年を振り返ってみたい。

 各メディアの回顧企画の中で、最も使用頻度が高かった言葉は、たぶん「復興」だったはずだ。まあ、当然ではある。
 「復興」は強い言葉だ。人々を強引に納得させる力を持っている一方で、納得しない人々の内心に反発の感情を生じさせる言葉でもある。
 だから、「復興」は、税金の名前にもなっている。

 確定申告の書類を作ったことのある人なら誰もが知っていることだが、この10年は、申告書の中に「復興特別所得税」という新しい項目が付け加えられていた期間でもある。なんでも、この特別枠の税金は、これから先、2037年まで徴収され続けるらしい。

 復興特別所得税への怨嗟の声が、巷にあふれているのかというと、そんなことはない。多くの日本人は、納得したうえでこの税金を支払っている。国会でも、復興特別所得税を新設する法案は、全会一致ですみやかに可決された。
 かように、「復興」は、人々を説得する強い力を持っている。

  他方、この言葉に疑いのまなざしを向ける人もいる。
 たとえば
 「復興五輪」
 という用語は、使われはじめた当初から
 「復興にかこつけるなよ」
 「復興の看板を掲げておけば何でも許されると思ってるわけか?」
 「復興よりも五輪ってことか?」
 てな調子の斜め左方向からの批判がつきまとっている。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。