年明け早々の緊急事態宣言発出から1ヶ月が経過した。
 近場の商店街を歩いていて気づかされるのは、世間の空気の不機嫌さだ。
 あからさまにギスギスしているというほどではないのだが、たとえば、信号待ちをしている人々の表情を見ると、どこかこわばっている気がする。

 もっとも、私が世間の空気から不機嫌さを感じ取っているのは、あるいは、私が自分自身の不機嫌を世間の空気に仮託しているだけなのかもしれない。
 ありそうな話だ。

 ドアーズの「People Are Strange」という歌の中に
 "People are strange when you are a stranger, faces look ugly when you're alone"
 という一節があったことを思い出す。
 私たちは、自身の精神の変調を、しばしば世界の頽廃と見誤る。
 ストレンジなのは、人々ではなくて、自分自身であるにもかかわらず、だ。

 してみると、私たちは、このたびの森喜朗東京2020オリパラ組織委会長による女性差別発言を、一度、自分の中から出てきた言葉として再吟味してみるべきなのだろう。
 じっさい、森喜朗氏によるあの愚かな言葉は、わたくしども一般国民がそれぞれにかかえている持って行き場のない不機嫌さの露頭であり、さらにいえば、無自覚なポピュリストの口を借りて噴出した、一種の吐瀉物でもある。

 私たちは「一触即発」の状態にある。
 私たちが持て余している国民的な不機嫌は、森発言へのリアクションにも大きな影を落としている。
 受験期の子女をかかえた家庭が、腫れ物にさわるようにして維持している緊張の中で、時にささいなことで口論を始めてしまう小爆発を、どうしても回避できないのと同じように、コロナ禍の中で、貧寒な自粛生活を余儀なくされているわれら常民は、自分たちを苛立たせる不愉快な話題に、なぜなのか嗜癖していたりする。

 今回は、政治がらみの話や時事問題には触れないつもりだ。
 現時点で世間を騒がせている話題のうちのどれを取り上げてみたところで、険しい口調で語る始末を避けられそうにないからだ。
 特定の問題に険しい口調で言及することそのものがいけないというのではない。邪悪だったり欺瞞的だったりする話題を扱う時には、やはり険しい口調なり文体なりが求められる。ニヤニヤしながら包丁をふるうことはできない。

 ただ、読者の中には、書き手である私がどんなテーマを選んでいるのかや、コラムの論旨がどんなふうに展開するのかとは別に、「険しい口調」ないしは「攻撃的な文体」それ自体に疲れている人々がいる。
 それを思えば、毎度毎度、糾弾や追及にばかり行数を費やすのは賢明な態度ではない。

 私は、運動家でもなければ活動家でもない。  一介のコラムニストだ。
 とすれば、ときどきは本来の業務である身辺雑記を書き散らす仕事に立ち戻るべきなのだろう。

 ついでに申し上げればだが、私は、コラムを、読者のために書くコンテンツだとは考えていない。
 書き手の精神の安定に寄与するのであれば、内容の当否や善悪や出来不出来に拘泥する必要はない、と、アルコール依存から脱却して再出発を決意した時に、私は、自分の書くコラムについて、そういうふうにレギュレーションを改訂している。

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