
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」
と、森喜朗・ 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長は言ったのだそうだ。
この発言の第一報が伝えられた日の夜、ツイッターのタイムライン上には、記事を読んだ人々が、それぞれ、五輪の幕引きの手順や、尻拭いの方法について、思い思いの感慨を書きこんでいた。
なんというのか、第一報が伝わった時点で、すでに
「女性蔑視」
というのは、主要な論点ですらなくなっていたわけだ。
当然といえば当然だろう。森さんの発言がドンピシャリの女性蔑視であることは、いまさら誰が検証するまでもなく、隅々まではっきりしている。そんな論点について、ことあらためて議論をするのは時間の無駄というものだ。
とすると、次の問題は、森さんの言葉が、JOCの臨時評議員会という公の場所で五輪組織委のトップが発信する内容として適切であったのかどうかなのだが、これについても、実は、結論はすでに出てしまっている。
つまり、森さんのあの発言は、どこからどう見ても不適切かつ不穏当なもので、擁護できる余地はひとっかけらもありゃしないのである。
それゆえ、当稿では、この点をめぐる議論も省略する。
事件の外形は、つまるところ、森さんがヘタを打ったということ以上でも以下でもないからだ。
当稿では、どうして森さんのような人物が五輪組織委のトップに選任されているのかという、誰もが抱くであろう疑問への解答を模索しようと思っている。なかなか、むずかしい設問だが、できれば解答にたどりつきたいものだ。
こういう時に思い出すのは、亡くなった岡康道との対話だ。
様々な場面で、彼が残した言葉やつぶやいた問いがよみがえってくる。
コロナ禍がもたらしたこのたびの想定外の蟄居生活は、おそらく、多くの日本人にとって、死んでしまった人間と過ごした時間の再現として費やされているはずだ。私も同じだ。ありがたいやら悲しいやらで、思いは千々に乱れる。
いつだったか岡が言っていたのは、どんな人間が出世するのかを見ていると、その会社の未来がなんとなく見通せるぞというお話だった。
私も岡も、この40年間ほど、新聞社や放送局、出版社といったメディア企業を外部から観察する立場で仕事をしてきた人間だった。
岡の場合は、メディア企業以外にもメーカーや商社や保険会社といった、様々な企業と、それなりの付き合いを持続してきていた。
その彼の目から見ると、企業の将来性は、
「どんな社員を雇用しているのか」
よりも、むしろ
「どんな社員が出世するのか」
に、より多く依存しているように見えたというのだ。
「実際、つまんないヤツが出世する会社ってろくなことになってないしな」
と彼は言っていた。
私自身、いくつか思い浮かぶ顔がある。
この記事は会員登録で続きをご覧いただけます
残り5582文字 / 全文6884文字
-
有料会員(月額プラン)は初月無料!
今すぐ会員登録(無料・有料) -
会員の方はこちら
ログイン
日経ビジネス電子版有料会員になると…
特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題
ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題
日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題
この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?