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 アメリカの下院本会議は、1月13日、連邦議会議事堂の占拠事件を扇動したとして、トランプ大統領を弾劾訴追する決議案を可決した。

 この弾劾訴追はトランプ大統領にとって2回目に当たる(1回目は2019年の12月)。つまり、トランプ氏は在任中に2回の弾劾訴追を受けた史上はじめてのアメリカ大統領になったわけだ。
 下院での弾劾訴追の可決を受けて、今後、上院で弾劾裁判が行われる運びになっている。で、その弾劾裁判において、出席議員の3分の2が賛成すれば、有罪が確定する。その可否は、共和党の議員のうちの何人が賛成にまわるのかによって決まる。見通しは、正直なところ、わからない。
 仮に、私が今回のこの事態を受けて何かを言うのだとして、弾劾裁判の意義や先行きを予想する趣旨の原稿を書くのは、あんまり意味のない仕事だ。というのも、私のような立場の人間がこのテーマで何かを書く以上、どう工夫したところで、誰かの受け売りになるはずだからだ。

 貴重な行数を使って、他人の文章を右から左に移し替えただけの貧寒な論考を並べてみせたところで、読者の尊敬を得ることはむずかしかろう。
 かといって、誰かの受け売りでない自分のオリジナルの考えを開陳するのはさらによろしくない。というのも、専門的な事柄について、知識も見識も持っていないド素人が、思いつきと当てずっぽうの二刀流で並べ立てにかかる床屋政談は、単に価値が低いだけではなくて、多くの場合、有害な陰謀論に着地するものだからだ。

 つまらないのならまだ良いのだ。
 しかし、私のようななまじにウデのある書き手が執筆するテキストは、根拠薄弱ではあってもそれなりにリーダブルな読み物に仕上がる。必ずそうなる。と、まるっきりのデタラメである一方で、そこそこに面白く書かれているその「見立て」(←政治的な出来事を扱った無根拠な憶測は、出来が良ければ良いほど陰謀論に近似する)は、ナイーブな読者を混乱させずにはおかない。

 なので、弾劾については書かない。
 かといって、トランプ大統領のこれまでの4年間の治世を総括してみたところで、これまた仕方がない。そういうマトモなお話は、マトモな専門家にまかせるべきだ。そう考えて、マトモな言論からは距離を置くのが、コタツ記事を書くライターの見識というものだ。

 さて、先日の連邦議会へのデモ隊の乱入事件以来、私の脳内を行ったり来たりしているのは、民主主義の行方であるとかアメリカ政治の転換点であるとかいった、立派なテーマについての筋目の考察ではない。
 この一週間、私は、もう少し卑近なことを考えていた。

 たとえばツイッターの功罪について、だ。
 型通りの質問に回答する想定で申し上げるなら、ツイッターは、私にとって、暇つぶし以上のものではない。
 とはいえ、一日平均にならしてカウントしてみれば、私は、なんだかんだで毎日5時間程度の時間をツイッターのタイムラインを眺めることのために費やしている。しかも、そのうちの何十分かは、自分が書き込むツイートの文案をいじくりまわす時間にあてている。
 これだけの時間と労力を投入している以上、これは、ただの暇つぶしではないと考えるべきだ。

 傍証をあげるなら、私は、昨年の9月『災間の唄』(サイゾー刊)という、この10年間のツイッターの書き込みを集成した書籍を上梓している。
 してみると、ツイッターは、いよいよ私にとって、暇つぶしではない。
 若い頃に愛聴したLou Reedというミュージシャンが、
 “Heroin,it's my wife and it's my life”
 という歌を歌っている。