とある化粧品会社の経営者が、自社のオンラインショップのサイト上で、差別発言を拡散している。

 今回は、この話題を「寛容」というキーワードを軸に読み解いてみたいと考えている。
 私がこんなことを考えた理由は、先日(←といっても、つい昨日のことだが)、『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森本あんり著・新潮選書)という本を読んで、おおいに刺激を受けているからだ。

 ありていに言えば、自分の頭の中で読後感が反響しているうちに、それを記録しておきたいという考えが、本稿を書き進めるモチベーションの半分以上を占めている次第だ。

 本書は、この何年か、私があれこれと思い悩んでいたいくつかの問題に関して、その意味と方向性を照らし出すヒントを提供してくれている。より具体的な言い方をすれば、「寛容と不寛容」という、どこから考え始めても、必ずや隘路に迷い込んでしまうこのやっかいな命題について、思想的な地図に相当するものを入手できた感じだ。

 細かい内容については、本稿の中でおいおい触れることになると思うのだが、とりあえず、本欄読者の皆さんには、この場をお借りして、年末年始の休みを実りある自問自答に費やすためのテキストとして『不寛容論』の購入を、強くおすすめしておきたい。必ずや有意義な読書体験になるはずだ。

 さて、昨日来、ネット上のみならず、いくつかの既存の報道メディアがとりあげたことで注目が集まっているDHC吉田嘉明会長による差別的な告知文は、驚嘆すべきことに、いまだに削除されていない。

 「ヤケクソくじについて」と題されたこの文章を一読すれば、問題の所在は誰にでもわかる。つまり、このメッセージはあからさまな差別意識の発露だ。それ以上でも以下でもない。

 とすると、これは、吉田嘉明という一個人の脳内を支配している差別感情がどうだこうだということだけで片付けられるお話ではない。本件が提示しているのは、このあまりにも素朴かつ凡庸な差別メッセージの開示を阻止できなかったDHCなる企業のガバナンスの問題でもある。あるいは、そのDHCを広告主としていただいているメディア企業各社の事なかれ主義体質の問題を指摘することも可能だろう。

 いずれにせよ、この種の差別事案が勃発した時に、私たちが注目せねばならないのは、差別を発動した当人の内面ではなくて(←どうせ貧寒な脳みそが露呈するだけの話なのでね)、その差別者をとりまく社会が、差別の言動をどんなふうに処理し得たのかであるはずなのだ。

 ちなみに、12月16日にこの話題を報じたAsahi.comの記事には、私もコメントを寄せる立場で協力している。

 差別発言はすでに広く社会に向けて発信されてしまっている。その意味では、被害は、すでにとりかえしがつかない。
 しかも、当該のメッセージを拡散しているDHCの広報部は、共同通信の取材に対して「回答することは特にない」という門前払いの回答を提供し、メッセージの文言自体も、そのままの形で掲載した状態を保持している。
 つまり、差別発言を拡散した当事者たちは、謝罪を拒絶し、発言を撤回or削除する構えも見せていないわけだ。

 どういう神経なのだろうか。

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