加齢にともなう記憶力の衰えは、50歳を過ぎた人間であれば、誰もが多かれ少なかれ自覚しているところだと思う。私も同じだ。
それでも、5年ほど前までは、記憶の魔法を維持強化すべく、あれこれ悪戦苦闘していたのだが、最近はあきらめている。年齢に勝てるのは「死」だけだからだ。
記憶の消滅や減退そのものとは別に、わりと対応しにくいのが、自分の記憶への不信がもたらす副作用だったりする。
私の場合、原稿を書いているさなかに、突然、脳裡に去来する。
「ん? この話は前に書いた気がするぞ」
という強迫に悩まされている。
で、パソコンの全文検索機能を駆使して、自分の執筆データを総当たりに掘り返してみる。と、ドンピシャリで、書くつもりでいた話とそっくり同じエピソードが発掘されてくる。この検索結果には毎度がっかりさせられる。とはいえ、この機能のおかげで、あからさまな重複を回避できていることもまた事実ではあるので、検索をやめるわけにもいかない。
人前で話をする時には、この全文検索機能が使えない。
なので、話をしている途中で
「ん? この話は前に何度か披露した気がするぞ」
と思うと、その時点で平常心を失う。で、
「これは、以前みなさんにお話ししたことがある気がしているのですが、二度目だと思った人はそのつもりで聞き流してください」
といった感じの挿入句を補ってその場をしのぐのだが、この時点で、話にこめられる熱は半減している。なんというのか、
「二度目なのでざっと触れるにとどめておきますが」
式の、いかにもお座なりな話し方になってしまうのですね。
今回とりあげるつもりでいる話題は、二度目どころか、当欄だけでもたぶん4回か5回は繰り返し書いているテーマだ。
なので、執筆意欲の死滅を回避する意味で、あえて過去記事の検索は実行していない。
考えてみれば、全文検索のような疑心暗鬼誘発ツールが登場する以前の書き手は、もっとおおらかに二度ネタを書いていたはずなのだ。
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