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 アメリカ大統領選挙の投票が終わった。

 結果はまだわかっていない。
 なので、私がこれから書く原稿は、選挙結果の勝敗を踏まえたお話にはならない。どちらかと言えば、内外の選挙報道やそれらの受け止められ方について書くことになるはずだ。
 原稿を書き始めている現時点の時刻は、日本時間11月5日の午前11時54分だ。
 たぶん2時間ほどで脱稿することになると思うのだが、原稿をアップした後の事態の変化には対応しないつもりでいる。

 実は、これまで、当欄では、脱稿後の状況の変化に対応して、一部の表現を差し替えたケースが何回かある。
 私は、差し替え原稿を求められる度に、毎度面倒くさい気持ちを味わったものだった。しかも、それらの改稿の結果には、必ずしも満足していない。
 というのも、完成した原稿のうちの一部の表現だけを差し替えると、文章は、必ずや不自然なものになるからだ。

 もっとも、その不自然さは、一般の読者にはあまり感知されないポイントだったりもする。しかし、書いた本人には身にしみてわかる。で、木に竹を接いだようなその部分を読み直す度に、いやな気持ちになる。
 なので、今回のこの原稿に関しては、仮に脱稿後に状況が変化することがあっても、書き上がった原稿に手を入れる作業はしないつもりでいる。

 「あれ? これって、情報が遅いんじゃないか?」
 「オダジマは◯◯が××に落着したことを知らないのか?」
 と思う人が、あるいはあらわれるかもしれないのだが、それは仕方のないことだ。
 私は、11月5日の正午をはさむ2時間から3時間の間に、この原稿を書いている。知識も情報も見立ても、その時点のものだ。仮に、11月6日の朝、ウェブ上に原稿をアップしたタイミングで、私の見解が、結果として的外れになっているのだとしても、私は自分の過去の予測を書き換える気持ちは持っていない。

 さて、前述の通り、結果はまだはっきりしていない。
 にもかかわらず、内外のニュースソースは、それぞれの立場から、分析やら予測やら総括などを書き散らしている。それらの記事を総当たりに読んでいくと、ますます全体像がわからなくなる。そこのところの混乱こそが選挙報道の醍醐味であることは承知している。われわれは、まだ見ぬ運命に目がない。オリンピックの開催不能が確実視されつつあるいまとなっては、予測不能な選挙戦を共同視聴する機会は、貴重なリアリティーショーなのだろう。

 ネット上の論客や野次馬の言い分もさまざまだ。

 事前の予測を外した(←「現時点で」ということだが)評論家や政治学者を嘲笑しつつ快哉を叫んでいる人々がいるかと思えば、開票の推移について人為的な操作の介在を感知している一派が活躍していたりもする。

 「明らかに不自然な票の増え方を発見したのだが、どう考えるか」
 と、私のような者にわざわざ見解を質して来る人もいる。
 バカな話だ。
 ぜひとも認識しておかなければならないのは、
 「投票はすでに終わっている」
 ということだ。

 われわれがまだ知らないでいるというだけで、選挙の結果は、実は、すでに出ている。つまり、われわれが一喜一憂しているのは、二日前に結果の出ている出来事についてなのだ。
 このことを肝に銘じておかなければならない。