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 菅義偉総理大臣が、日本学術会議の会員候補105人のうち6人の任命を拒否したことへの反発は、意外な方向に広がりつつある。
 当事者たる学問の世界の人間が抵抗するのは当然なのだとして、反発の声は、映画人や出版界にも飛び火し、ネット上では署名運動もはじまっている。

 もっとも一方では、抗議や反発の動きを牽制する声も高まっている。
 ……と、ここまでは、よくある両睨みの定型的な書き出しなのだが、当稿では、反政権派でも政権支持層でもない第三極の人々に注目するつもりでいる。

 というのも、日本人の大多数は、その第三極に当たる洞ヶ峠で、静かに事態を眺める態度を選んでいるように思えるからだ。
 重要なのは、サイレントマジョリティーの真意が「沈黙」それ自体の中にあるということだ。
 どういう意味なのか説明する。

 思うに、うちの国の静かなる大衆は、どうやら、学問の自由を防衛しようという声にも、倒閣運動に反発する声にも耳を傾けていない。つまりわれわれは、いつの間にやら
 「どちらの側にも立たない私たちは、誰の味方でもありません」
 式の、事なかれ主義の権化みたいな人間たちに変貌してしまっているのだ。
 じっさい、世論調査の数字は、長らく「支持政党無し層」を最大多数とする結果を提示し続けている。

 これは、
 「特定の政党を支持してる人たちって、なんかきもち悪いよね」
 という時代の気分を代表する声なのだろう。
 菅政権の支持率の予想外の高さも、おそらくはこの気分を反映したものだ。

 新たに発足した政権がいきなり7割を超える支持率を獲得したことの意味を、例によって、うちの国の国民が
 「新しい家具であれば、どんな安物のベニヤ板で作られていようとも、とりあえず歓迎することにしている」

 というお話の一環として説明する声があることは知っている。私も、半分ほどは、その通りなのだろうと思っている。わが国民はなんであれ新品が好きだし、なかんずく、高度成長期の中で育った中高年は身の回りのモノを買い替える動作に嗜癖しているからだ。

 とはいえ、国会も開会していなければ、施政方針さえ明らかにしていない無い無い尽くしの新政権に、これだけの支持が集まる理由は、「評価」というよりは「期待」ないしは「祝福」であると見るのが穏当なところだ。
 さらに重要なのは、その「期待」なり「祝福」なりの背景に、「事なかれ主義」が影を落としていることだ。

 具体的には
 「とにかくグダグダ文句を言わずに、しばらく様子を見ようじゃないか」
 という
 「静観」
 こそが、最もクールかつ賢明な態度だとするスタンダードが「令和」の日本を席巻しているわけだ。そう思って見ると「令和」という文字面からは、なるほど「静観」のニュアンスがそこはかとなく漂っている。