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 そもそも揉め事や言い争いを好まない人々であるわれら日本人の多数派は、戦闘的な人々の間で戦わされている議論に忌避感を抱いている。議論の中身を検討する以前に、「政局」や「論争」自体にうんざりしているのである。しかも彼らの厭戦気分の矛先は、どちらかといえば、尻尾を出し続けている政府の側ではなくて、政権担当者の些細な行き違いや失策にいちいち唇をとんがらせて言いがかりをつけている野党および反政権の人々の口吻に向けられている。

 「なんか、やたらと正義だの理想だのを言い立ててるあの人たちって、苦手だなあ」
 と。
 であるからして、今回の首相による任命拒否問題への反発の声も、またぞろ同じメンバーによる毎度おなじみの、コメカミに青筋を立てた形のヒステリックな倒閣運動なのであろうと思われている。

 そうしたシラけた声を代弁しているのが
 《なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持っているの?新政権のツッコミどころだからというだけでしょう。もともとほとんど関係ないうえに興味もなかったじゃない。ぼくだってそうで、たぶん1、2回ほど部会のシンポジウムかなにかで話したことあるけれど、はっきり言えば関係ない。》
 というツイートだ。

 この西田亮介氏による発言を、「政権擁護のための策動」と決めつけるのは、早計だ。おそらく、西田氏のような若い世代の研究者の中には、
 「学問の自由」
 であるとか
 「民主主義の大原則」
 であるといったような、
 「崇高な理想」
 だったり
 「美しい理念」
 だったりするものに加担したり、それらの青臭い
 「ガクモン」
 の世界の約束事をおもてだって口にすることを、恥ずかしがったりするマナーが共有されているのだと思う。であるからして
 「いや、別にオレ、そういう高らかなお話とか興味ねえし」
 てな調子で、「プリンシプル」だの「規範」だのに対しては、とりあえず距離を置いた態度をキメておくのが定石であるわけだ。

 とはいえ、学問の自由を脅かされている当事者であるほかならぬ学者さんが、こういう斜に構えた感慨を漏らしたことに対しては、せめて失望の声くらいは上げておかないと筋が通らない、と、私のような戦後民主主義を金科玉条として教え込まれてきた世代の人間は、どうしてもそう考える。

 で、私は、
 《私も、日本学術会議自体には関心を持っていない。ただ、日本学術会議の人事に政府が介入した事件には当然のことながら関心を抱いている。これはたとえば、伊藤詩織さんご自身にはほぼ興味を持っていなかった自分が、彼女の性暴力犯罪被害とその告発の行方に関心を抱いているのと同じ話だと思う。》
 と、引用RTの形で、西田氏のtwに向けて、ベタな回答を投げかけている。