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 彼らの理屈はこうだ。

  1. 反差別の人々は、差別を絶対悪として敵視している。
  2. それゆえ、彼らは自分たちの中には、絶対に差別意識が存在しないという自覚を抱いている。
  3. で、彼らは、世界を「差別意識を持っている邪悪な彼ら」と「差別意識を持たない正しく清潔な自分たち」の2つに分断して、邪悪な人間たちを叩く運動に邁進する。
  4. その結果、反差別運動に従事している人間たち自身の中にある差別意識は、抑圧、否定され、こじれた攻撃欲求となって他者に向かう。

 なんだか手品みたいな理屈だが、これを信じている人間は、少なくない。悪夢みたいだ。

 「あなたは他人の差別を指摘できるほど完璧な人間なのですか?」
 という問いは、一方で
 「完璧な人格者以外は他人の差別を指摘してはいけない」
 という不可能な禁忌を設定しにかかっている。
 さらに、もう一方の側面では、論敵を
 「はいそうです、私は差別意識なんか持っていない倫理的に完全な人間です」
 というあり得ない立場に追い込もうとする罠を仕掛けている。

 最初の前提に戻って言うなら
 「不完全な人間同士が、お互いの差別を注意し合うことでわたくしども人類の社会は少しずつ前進して行くのですね」
 というのが、われわれすべての人間の例外のない立ち位置なのであって
 「完全な人間でなければ他人の非を指摘してはいけない」
 という前提の方が明らかに狂っているという、それだけの話なのだ。

 どんな人間であれ、差別意識をまったく持っていないなんてことはあり得ない。あたりまえの話だ。こんなことは、私がいまさらことあげて言うまでもなく、誰もが認めている21世紀の常識に属する話だ。

 差別に反対している人々が、自分たちの中の差別意識を絶対に認めない人々であるのかというと、そんなこともない。少なくとも、私の観察範囲では、そういう人間には会ったことがない。

 あるいは、広い世の中には「自分は絶対に差別なんかしないし、差別する気持ちを持ったこともありません」と言い張る人間もいるのかもしれない。しかし、そういう人は、そもそも差別に反対する運動には冷淡なタイプなのではなかろうか。

 差別に反対している人たちの多くは、
 「誰もが持っている差別の気持ちや、自分でも気づかずにいる差別感情も含めて、差別には注意しないといけない」
 「仮に差別意識がすぐには消えないのだとしても、それをなるべく外に出さないように努力するのが現代の人間に求められる心がけですよね」
 「すべての差別がすぐに根絶できなくても、それらを少しずつでも減らすように努力していこうではありませんか」

 といった程度のことを繰り返しているに過ぎない。

 その「反差別界隈」の人々を
 「お前たちは差別者で、われわれは差別糾弾者だ」
 てな調子で、世界を分断しにかかる狂信者の悪党として描写せねばならないのは、たぶん、差別を指摘された人々の中に、その指摘を
 「上から」
 言われたと思い込んだ人がいるからなのではあるまいか。

 もしかして、彼らは、22歳の「女の子」に何かを教えられたことを、屈辱と感じるタイプの感受性を持っているのだろうか。
 本当は、こんな話に上も下もないのである。誰かが誰かを差別していることに心を痛めるのは、あたりまえな人間のあたりまえな心情であるに過ぎない。

 ところが、反・反差別界隈の人たちは、そのあたりまえな市民のあたりまえな心情を
 「お気持ち」
 というような言葉で揶揄嘲笑していたりする。

 理性とは、感情を軽んじることではない。
 こんなバカバカしい、1たす1は2ですよ、みたいな、あまりにもあたりまえな話は、できれば文章にしたくなかった。

 残念だ。

 大坂なおみさんは、不当に殺害された実在の黒人の被害者たちの名前をもう一度思い出してほしい旨を訴えたに過ぎない。

 彼女は、自分だけが正しくて、それを認めない世界が間違っていると宣言したのではない。

 その十分に抑制のきいた彼女の落ち着いたメッセージを、平常心で受け止めることができなかった人々の圧力に屈して不必要な謝罪を表明した議員さんには、もう一度謝ってほしいと思う。

 誰も間違っていませんでした、と。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?

現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!


ア・ピース・オブ・警句
5年間の「空気の研究」 2015-2019

 同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。

 私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。

 それが日本の私たちの、この5年間だった。
 まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。

 別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。

 ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)

 人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。

 3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されました。