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 で、これらの批判にこたえる形で、松川るい議員は、9月16日午後、
 《下記Twitterについて。殆どの警官の皆様は命懸けで市民を守っています。それにもかかわらず、軽率なコメントをしてしまったことを関係者の方々に心からお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。》
 と、既に削除・撤回した9月14日のツイートのスクリーンショットを添付した上で謝罪を発信した。

 以上に見るように、BLMへの反応は
 「差別に反対しているのだから善意の運動であるに決まっている」
 というシンプルな見方に終始するものではない。

 当然、
 「人種間の複雑な対立感情を大統領選挙のための投票行動に結びつけるための策動のひとつだ」
 というおなじみの方向から警戒する人々もいれば、中には
 「裏では中国共産党が糸を引いている」
 というトンデモな陰謀論を持ち出して批判する向きもある。

 運動そのものへの個々人の評価とは別に、米国内では、トランプ支持派/反トランプ陣営、あるいは、共和党支持層/民主党支持層の別によって、運動への評価が180度異なっていたりする。もちろん、米国外でも、論者が親米/反米、親中/反中のいずれであるかによって運動へのスタンスはまるっきり違っていたりする。それらの立場の違いとは関係なく、とにかくデモ全般を嫌う人たちもいれば、どんな体制に対してであれ、反体制の旗を掲げることそのものへの忌避感を隠さない人々もいる。

 いずれにせよ、BLMへの評価は、運動の実態そのものよりも、それを見つめる人々の立ち位置をより大きく反映している。

 私個人は、BLMを、米国の歴史を正面から問い直す歴史的な運動として眺めている。その意味で、この運動を大統領選挙の戦術であるとか民主・共和両党の対立だとかいった短期的で政治的な戦術の問題に矮小化している人々は、いくらなんでも視野が狭すぎると思っている。

 そう考えてみると、大坂なおみ選手は、まさに米国の歴史の一大転換期に立ち会う形で、その一部として、大切な役割を担っているわけで、その大舞台で堂々と振る舞ったその彼女の知性のしなやかさと勇気は、最大限に評価せねばならない。みごとだと思う。

 ところが、うちの国のSNSでは、その大坂なおみ選手の行動に対して
 「テニス選手ならテニスのプレイでアピールしてほしい」
 「政治的な問題をコートに持ち込まないでほしい」
 「スポーツ選手がスポーツのファンに上から説教をする態度には反発を感じる」

 といった調子の反発の声が大量に寄せられている。

 これらの声に対しては、大坂なおみ選手本人が、9月16日付で、以下のようなコメントをツイッターのタイムラインに発信している。
 《All the people that were telling me to “keep politics out of sports”, (which it wasn’t political at all), really inspired me to win. You better believe I’m gonna try to be on your tv for as long as possible.》

 ちなみに、ツイッターの「翻訳」ボタンを押した結果は以下の通り。  《「政治をスポーツから遠ざける」ようにと私に言っていたすべての人々(それはまったく政治的ではありませんでした)は、本当に勝つために刺激を受けました。私はできるだけ長くテレビに出演するつもりだと信じた方がいいです。》

 なるほど。翻訳がやや生硬なので補足すると、こんな感じだろうか。
 《私が勝てたのは「スポーツに政治を持ち込むな」と言ってきた人たちのおかげです(実際、黒人の生命の問題は政治以前の問題ですが)。私はあなたたちの見ているテレビに一秒でも長く映るつもりなのでよろしくね。》

 なんとみごとなリターンエースではないか。
 私が付け加える言葉はひとつもないのだが、それではこっちの商売が立ち行かないので、以下、いくつか蛇足を並べてみる。