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 「23区内から4ヶ月外に出てないぞ」
 「多摩川も荒川も越えていない」
 「オレなんか、在宅勤務がメインだから、電車にさえ乗らない」
 「オレも部屋と近所のスーパーと公園を行ったり来たりしてる」
 「旅行に行きたいな」
 「どこでも良いからデカい空の下を歩きたいぞ」
 「見知らぬ人間しか歩いていない場所で一週間くらい暮らしたい」
 「ヒグマに会いたい」
 私自身も、今回の蟄居生活にはさすがに飽きている。

 元来、私は出無精な質(たち)で、だからこそ「岩窟系コラムニスト」を名乗っていたりもするのだが、そんな私でさえ、このたびの全国民的な引きこもり生活には辟易している。

 このたびの一億総自粛生活の特別さは、「ウィズコロナの新しいライフスタイル」なるものが、インチキくさい道徳律を伴って強要されているところにある。メディア発のおためごかしと、相互不信を募らせる住民ベースの監視体制が、民族の暗い記憶の中にある隣組マインドを再稼働させている中にあって、われわれのなけなしの個人主義は、ゆっくりと、しかし確実に死滅しつつある。

 それゆえ、自由な個人たることを願うただでさえ少数派の日本人は、先の見えないトンネル生活の中で魂を腐らせている。

 だからこそ、表向きは評判の良くないGo Toキャンペーンにも、隠れた熱い支持が寄せられている。
 というよりも、私の見るに、あのキャンペーンは、実際には、裏にまわったところで根強い人気を集めている。
 もちろん、メディアに載る記事には、素敵な評判は書かれない。

 「政府から依頼された専門家が懸命になってブレーキをかけている裏で、同じ政府の人間がアクセルを踏むのはいかがなものか」
 「まるっきりの利権仕事じゃないか」
 「帰省を自粛させといて観光旅行を推奨するのは、要するに特定の業界への利益誘導以外のナニモノでもないわけだよね?」
 「帰省客は感染リスクを持っているけど、観光客はクリーンだと、そういう理屈を言い出す連中は、つまるところカネしか眼中にないわけだよね」
 「一方の手で自粛を促しておいて、もう一方の手で感染爆発を煽っているわけだからそりゃ西村さんだって目が泳がない道理はないよな」
 「安倍ちゃんはどこへGo Toしたんだ?」  とまあ、集団リンチと呼ぶにふさわしい言われようだ。

 しかし、全国民がこのキャンペーンを憎んでいるのかというと、案外そんなことはない。
 もちろん、自分がGo Toキャンペーンに乗っかって観光に出かけることを声高に語る人間はほとんどいないわけなのだが、久しぶりのお出かけにワクワクしている人間は、実は、たくさんいる。
 というよりも、大きな声で言わないだけのことで、蟄居生活に疲れた庶民の多くは、道祖神の招きにあって漂泊への思いやまずの境地にある。

 このあたりの事情は、「夜の街」の需要に似ていなくもない。
 誰も、自分のキャバクラ通いを大声で語ったりはしない。
 いわゆる「フーゾク経験」を公的な場所で不特定多数に向けて自慢する人間もほとんどいない。
 とはいえ、キャバクラに通う人間がいないわけではないし、風俗産業が絶滅に瀕しているのでもない。それどころか、世間の景気の浮き沈みにかかわらず、その種の店に足を運ぶ人間の数は頑として不変だ。

 彼らが、同好の士の間で話題を共有することはあっても、一般人に向けて自分たちの体験を語ろうとしないのは、後ろめたいからか、あるいは語ったところで軽蔑されるのがオチだからだ。だから、彼らは自分たちのキャバクラ通いをあえて話題にしない。当然といえば当然の処世だ。

 アンダーコロナにおけるGo To旅の土産話もまた、平時におけるキャバクラ通いの話題に似ている。なんとはなしに後ろめたい以上に、心の狭い俗世間の人間に話して舌打ちされるのもくだらないじゃないか、というそのあたりの力加減がそっくりだと思う。