ただ、仕事は、少しずつ改善しながら進められるものだ。別の言い方をするなら、改善の過程こそが仕事というものの本体なのである。
 ラフ案を叩いてマトモなキャッチコピーに仕上げて行く過程は、官僚の仕事でも政治家の仕事でもそんなに変わらない。
 間違っていたら直せば良いのだし、的外れだったら撤回すれば良い。  それだけの話だ。

 しかし、現政権のメンバーは、なぜなのか、それができない。
 走り出したがさいご、止まることができない。
 なぜか。

 以下、私の個人的な見解に過ぎないことをお断りしたうえで、その原因として思い当たるところを申し上げる。

 安倍内閣の人たちが、バカな第一案を改めることができず、愚かな施策を途中で撤回できず、みっともない発言を修正できないのは、つまるところ、彼らがマッチョだからだ。さよう。謝ったり引き返したり軌道修正したり白紙撤回したりテヘペロしたりすることは、男としてできないのだね。なぜかって? 男として半端だからだよ。

 ちょっと前に、ツイッターのタイムライン上で、
 「新自由主義とネポティズム(縁故主義)は、本来は正反対の理念であるはずなのだが、その実、なぜなのかわりと相性が良い。その証拠に維新と現政権は微妙にツルんでいるではないか」
 という感じの話の流れで、「ガキ」「任侠」「マッチョ」「ホモソーシャル」「サル山独裁」「反知性主義」あたりの単語が話題にのぼったことがある。

 この時、
 《ガキは基本的に任侠が大好きです。ジャン・ジュネは「泥棒日記」の中で「やくざは要するに子供なのだ」と言っています。飯干晃一も「やくざは男の理念形だ」と喝破しています。つまりヤー公というのは小学4年生段階の仲間とツルんでる時代から成長しない男たちの由なのですね。 2020年7月11日午後5時32分

 《小学生男子の集団は、非力な子供だから無害なだけで集団力学的にはモロなやくざ組織です。もっとも、ほどんどのガキは地域から離れて、いずれ孤独な男として成熟します。例外はジモティーの人間関係から外に出られないヤンキー連中で、彼らは成熟しません。で、やくざか、でなければJCになります。2020年7月11日午後5時42分

 という2つのツイートを発信したところ、早速
 「幼少期に壮絶なイジメ体験でもあるの?」
 「小田嶋っていじめられっこだったんだろうなぁw」
 というリプライが寄せられた。

 ごらんの通り、ネット社会では、伝統的に「いじめ被害体験」が「恥辱」「黒歴史」として、「人に言えない恥ずかしい過去」に分類されている一方で、「いじめ加害体験」は「スクールカースト上位者であったことの証」「仲間の多い魅力的な子供であったことの証明」として、もっぱら「武勇伝」「自慢話」の文脈で語られることになっている。

 唐突に聞こえるかもしれないが、私は、現政権のメンバーが、いずれも、謝罪・軌道修正・戦術的撤退のできない、極めて硬直的な人物に限られていることの理由は、現政権が、つまるところ、スクールカーストの延長上に形成されたヤンキー集団だからなのだと考えている。

 ホモソーシャルのサル山で暮らすマッチョが、なにより避けたいと願っているのは、自分の体面が失われる場面だ。
 彼らは、誰かにアタマを下げたり、自分の非を認めたり、前言を撤回したり、方針を変更したりすることを、自分の男としての体面を台無しにする、最悪の事態と考えている。
 であるから、間違っていても、足元に穴が開いていても、不利益をこうむることになっても、簡単には非を認めないし、謝ろうともしない。

 これも唐突な話に聞こえるかもしれないが、私は、たとえば、閣議のメンバーに女性が半数いれば、おそらくこういうことにはならないと思っている。
 たとえ、閣議に招集される女性閣僚のメンバーが自民党の「オンナのオッサン」みたいな女性議員ばかりであっても、女性が半分混じっている会議は、男ばかりの会議とはまるで違う展開をする。そういうことになっている。だから
 「そうですね。たしかにGo Toをいま強行するのは無茶かもしれない」
 「じゃあ、とりあえず一カ月延期することにして、その間に細部をもう少し考え直して再出発しましょう」
 と、なんということもなく延期の決断ができたと思う。