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 東京都知事選挙は、現職の小池百合子都知事による圧勝という結果に終わった。
 小池氏が圧勝することそのものは、ずっと前からはっきりしていたことだし、投票率が前回を下回ったことも、大方の予想通りだった。

 ただ、私の個人的な予測としては、小池さんが、コロナ対策や五輪へのマイナス評価によって、多少とも得票数を落とすであろう結果を思い描いていた。
 ところが、フタを開けてみると、小池候補は、得票率、得票数ともに前回を上回る結果で当選している。

 なるほど。
 グウの音も出ないとはこのことだ。
 私は、どうやら、今回のこの結果についてあれこれ分析をする資格を持っていない。ともあれ、私の戦前予測が、またしても願望によって歪められていたことがはっきりした以上、結果が出た後の弁解で恥の上塗りをする愚は避けるべきだろう。

 さてしかし敗軍の将が兵を語らないのだとして、それでは、選挙で勝った陣営が総取りにする権利を手にしているのかというと、そういうことではない。民主主義は、多数派がすべてを独り占めにするシステムではない。少数派の声をトップに届ける仕組みを整備していない権力は、いずれ滅びることになっている。そう考えないといけない。

 ところが、知事選の投開票が行われた7月5日の夜、小池都知事の再選という結果を受けて、五輪組織委員会は、新聞記者の取材に対して「五輪開催に向け一定の都民の支持を得られた」という回答を披露している。

 さらに、五輪組織委は、森喜朗会長の言葉として「大会成功に向け、東京都と一層の協力体制ができることを心強く思う。開催都市東京のトップとして、一層の緊密な連携をお願いしたい」というコメントを発表している。

 これは、選挙結果の恣意的な政治利用と呼ぶべき暴挙だと思う。
 安倍首相も、選挙での自党の勝利を国民による憲法改正への支持と読み取る旨の発言を何度か繰り返しているが、今回の五輪組織委の発言は勝手読みの度合いにおいて、よりはなはだしいと申し上げねばならない。

 NHKが都知事選の投票日に実施した出口調査の結果によれば
 「来年7月からに延期された東京オリンピック・パラリンピックを開催すべきだと思うか」
 という質問に対しての回答として
 「開催すべき」が27%、「中止すべき」が36%、「さらに延期すべき」が17%「わからない」が21%だったことが明らかになっている。

 この結果には、「選挙当日に投票所に足を運んだ都民」というバイアス(ついでにいえば「出口調査を拒否しなかった都民」というバイアスも)がかかっている。ということは、無作為に選んだ都民のナマの声とは多少違う。とはいえ、このバイアスを念頭に置いた上で結果を見たのだとしても、「開催すべき」と回答した都民が27%しかいないこの結果は、やはり重く受けとめなければならない。

 なにしろ「開催すべき」だと答えた都民の数は、「中止すべき」の36%と「さらに延期すべき」の17%を合わせた53%と比べて、半分しかいないのだ。
 つまり、都民の声の大勢は、現時点で「中止」に傾いていると見て良い。

 都民の願望とは別に、来年7月の開催が本当に可能なのかという「見込み」ないしは「実現可能性」の問題もある。

 これについても、おそらく多数派の都民(国民も)は、来年の夏に五輪を完全な形で開催することはむずかしいと考えているはずだ。

 なにしろ、コロナが収束していない。
 仮に、来年の春くらいのタイミングで、収束のメドが立ったとか、あるいは画期的で安価なワクチンが開発されたというようなことがあったにしても、広い世界のことを考えれば、すべての競技で期待通りの大会が運営できるのかどうかは、はなはだ疑問だ。
 参加を見合わせる国やアスリートもあらわれるだろうし、競技によっては、まるごと開催を断念する団体も出てくるはずだ。

 アスリートだけではない。
 観客や取材陣が、世界中からやってくるのかどうかは、いまの段階でははっきりしていない。仮にやってくるのだとしても、その彼らが、関係者の期待にかなう利益をもたらしてくれるのかは、なおのこと不透明だ。

 仮に、売り上げなり利益が、想定の半分にとどまるのだとしたら、その数字は、中止した場合よりもさらに深刻な赤字につながるのではなかろうか。