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 ああ、それは大変でしたね、と、黙ってスルーするのが通例だ。
 なのに、女性が被害に遭ったということになると痴漢であれ強姦であれ傷害であれ、女性の側の「自衛」に対する気構えや心構えへの「助言」が殺到する。

 「周囲に気を配って歩いていたのか?」
 「そもそも若い女性が単独で出歩くべき場所だったのか?」
 「そんな時間帯に一人歩きをすることの意味を理解していたのだろうか?」
 「犯人を挑発したのではないか?」
 「曖昧な態度で先方の歓心を買おうとしていたのではないか?」
 「性的な報酬をほのめかすことで当面の交渉を有利にすすめる計算がなかったと神に誓って断言できるのか?」
 「身動きもかなわない満員の車両の中で手を伸ばして来た人間を100%特定するだけの自信がどうして持てるのか。不思議でならない」

 もちろん、これらのツッコミを発動している人々は、必ずしも、犯罪の発生を女性被害者の側のせいにするためにそう言っているのではないのだろう。
 とはいえ、女性の被害(特に性的な暴力被害)を伝える報道に接すると
 「被害に遭っても仕方のない事情なり背景があったはずだ」
 という前提からものを考えはじめる回路が、世の男性のアタマの中にあらかじめビルトインされている可能性は否定しにくい。

 なんというのか、女性に対して手を上げた男性や、密室での女性との性的なやりとりにおいて一線を踏み越えてしまった男性をめぐる犯罪報道の記事を読んだ男性読者は、その記事の行間から
 「そりゃ無理もないよなあ」
 という「事情」を読み取ろうと努力しはじめてしまうのである。

 この心性ないしは行動パターンを、「性暴力加害互助会しぐさ」と呼ぶことは、いかにも炎上狙いみたいで品のない態度だとは思うものの、ながらくネット言論に接していると、正直な話、そう言い切りたくもなる。

 話はちょっとズレるが、私は、性暴力犯罪をめぐる諸々の論点については、「フェミニスト」と呼ばれる人たちがかねて主張しているところをほぼ全面的に支持するつもりでいる。この旨をあらためてお知らせしておく。

 細かい話をすれば、私は、現在の日本のフェミニストと呼ばれる論客のすべての意見を常に支持しているわけではない。いくつか、賛同できないトピックもあるし、誰かがどこかで言っていた特定の見解については、いまもって正反対の見方をしていたりもする。

 でも、それらの些末な行き違いを脇にのければ、私は現状のフェミニストの皆さんが掲げている主張の8割以上に賛同する気持ちを持っている。
 であるから、フェミニストの揚げ足を取ることだけを生きがいにしているかに見えるツイッター論客(←たくさんいます)の言いざまには、いつもあきれ返っている。

 今回のケースでも、女子高生の言葉づかいに苦言を呈していた人々のうちのおよそ半分は、特定の事件の限定された状況に口を出した通りすがりのアカウントとは違う、別の動機をかかえた人々だった。彼らは、「フェミ」くさい議論が勃発すると、反射的に「反フェミ」の論陣を張りに行く、いつもの顔ぶれで、その論陣も毎度おなじみのアンチフェミのテンプレートだった。

 以上に述べた背景を踏まえて、私は、6月の24日に、やや強い言い方で、以下のようなツイートを連投している。
 《「加害者を刺激する言葉を不用意に発するな」は、自衛のための助言のようでいて、実際のところは、街路を歩く女性に対して「おびえて生きろ」「優位者の顔色をうかがって振る舞え」「分際をわきまえろ」「一人前ぶってんじゃねえぞ」という行動制限を求める圧力として機能する。》2020年6月24日午後1時16分

 《要するに、日常的に性暴力被害に直面している女性に「男を怒らせない態度」を身につけることを求めている人たちは、女性が堂々と自立して自分のアタマの中から出てくる自在な言葉を使って自己表現をすることそのものを嫌っているわけだよ。なぜかって? 男尊女卑思想にとらわれているからだよ。》2020年6月24日午後1時18分