この会社には、これだけの文章を書ける人間が何千人も働いている。で、新聞を発行する会社としては、それらの、それぞれに筆力を備えた記者たちに、一人アタマ数行分の執筆スペースしか与えていない。ということは、この会社は、毎年何十人もの選りすぐりの文章家を選抜して、雇用し、その彼らを一定のメソッドに従って訓練し、育成しながら、結果としては、書く場所も与えずに飼い殺しにしているわけだ。
だからこそ、外部の人間に販売するわけでもない、社内誌にこれほどの水準の文章が満載されている。
なるほど。
「朝日人」は私にとっては、ちょっとした発見だった。ざっと読んでみて、あらためて身の引き締まる思いを味わった。
というのも、これは、逆に考えれば、この新聞社みたいな会社が、毎年何十人もの筆力を備えた人間を飼い殺しにしてくれているからこそ、私のような人間にも出番が回ってくるというお話にほかならなかったからだ。
スポーツ新聞の記者の中にも、素晴らしい文章家がたくさんいる。
私は、さる週刊誌で、スポーツ関連書籍の書評をなんだかんだで10年以上担当しているのだが、その書評欄のために私がこれまでに読んだ何百冊かのスポーツ関連書籍の著者にも、スポーツ新聞の記者出身の書き手はたくさんいる。そして、元スポーツ新聞記者には、名文家が少なからず含まれているのである。
ちょっと残念なのは、現役のスポーツ記者が自分の職場であるスポーツ新聞本紙に書く記事は、必ずしも名文ではないということだ。
というよりも、新聞の記事というのは、その本旨からして、「名文」であってはいけないことになっている。というのも、記事は、余韻や感動よりは、情報の正確さを第一とすべき文章で、その意味で、情緒纏綿であるよりは無味乾燥であるはずのものだからだ。
最後に、最近いくつか読んだスポーツ新聞の記者さんの文章の中から特に気に入ったものをひとつご紹介しておく。
ついでに、この記事を紹介する目的で書いた自分のツイートも引用しておく。
《スポーツ紙は、競技の休止で紙面づくりに困っているのなら、ツイッター発のコピペに頼ってばかりいないで、こういう現場の記者の取材ウラ話みたいなテキストに紙面を割いたらどうだろうか。記者さんたちはきっといい話をいっぱい持っている。こういう時こそそういう記事を読みたい。》
現場で取材している記者は、いい話をたくさん蓄えているし、それらを文章化する表現力も十分に持っている。
インターネットの時代になって、新聞の紙面では、必ずしも持ち前の文章力を発揮する機会に恵まれていない記者たちが、思う存分にペンを振るえる場所が少しずつ整ってきている。
個人的には、文章の世界には、凡庸で直截で平明で飾り気のない無味乾燥な記事文体の文章を山ほど書いた人間にだけ身につく文章力というものが存在する気がしている。なんというのか、素振りを1万回繰り返した人間にだけ身につく本物の実践的なスイングみたいな、ことです。
私の場合は、手遅れだと思っている。長い間好き勝手に来たタマを打ちすぎたので。
この先、スポーツ新聞が生き残るのは難しいと思うのだが、記者の皆さんには、それぞれ、ふさわしい活躍の場が与えられることを祈っている。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?
現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!
同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。
私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。
それが日本の私たちの、この5年間だった。
まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。
別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。
ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)
人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。
3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されました。
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