私のこの連載にしても、有意義な話題にキャッチアップしようとする書き手の側のリキみが、アダになっている可能性は否定できない。毎度毎度、政局やら政治がらみの話題に拘泥し続けてきたことの結果が、こめかみに青筋を立てた無粋なコメント記入者を蝟集させることにしかなっていなかったのだとしたら、なんともむなしいことだ。

 伝言板は、1980年代までに青年時代を過ごした人間にとっては、ある意味で、生命線だった。
 もっとも、伝言板というブツを、たぶん40歳より若い世代の人々はリアルには知らないはずだ。仮に知識として知っていたのだとしても、その使われ方と存在意義を、当時の実感とともに想像することは、不可能だろう。

 さてしかし、伝言板が昔の若者にとって不可欠なツールだったという言い方は、必ずしも正しい要約ではない。当時であっても伝言板を利用しなかった若者は少なくなかったはずだ。

 というよりも、伝言板と無縁な生活を送っていた人々からしてみると、当時の私のような伝言板経由の情報を積極活用しているテの学生は、「いつも大勢でツルんでやがるいけ好かない連中」に見えていたはずだ。

 じっさい、伝言板が「リア充」のための、実に甘ったれたコミュニケーションツールだった側面はどうやっても否定できない。

 私自身は、いまの言葉で言う「リア充」の青春を過ごした学生ではなかった。大勢の仲間に囲まれて学生生活を謳歌しているタイプのいわゆる「パリピ」でもなかった。
 ただ、そんな草も生えない二十代を完走した私のような男にも、ひととおりの人との行き来はあったわけで、伝言板経由でたどりつくコンパの席に連なっていたことだって、まるでなかったわけでもない。

 まわりくどい書き方をしてしまった。要約すれば、クソ甘ったれた年頃の男女が集まってちいちいぱっぱの青春ごっこをやらかすクソ甘ったれた学生サークルが、週末ごとに開催するクソ甘ったれた飲み会みたいなものの連絡事項をメンバーに広く知らしめるためには、大学の最寄りの駅の伝言板が不可欠だったということを、私は言おうとしている。でもって、その際、コンパ会場のあたりをつけて店の人間と価格交渉をする役割の二年生と、会合の日時と場所を伝言板に書き込みに行く係の一年生がコンビを組むのが通例だったわけなのだが、私は、幾度か、その一年坊の仕事をしたことがあったのである。

 こんな些末な青春のメモリーを披露することで、私が読者の皆さんに何をお伝えしようとしているかを、あらかじめお知らせしておく。私は、以下の話を通じて、40年前の学生が、いまの若い人たちとは比べものにならないほど未熟な人間だったということをお知らせしたいと考えている。

 「そんな話に何の意味があるんだ?」
 と、ぜひ、そう喧嘩腰にならないでいただきたい。
 私は、大切な話をしようとしている。

 大筋の前提として、私は、自分たちが、日常を充実させるためにコミュニケーションをとっていた時代から、コミュニケーションを充実させるために日常を運営している時代にたどりついてしまったのだというふうに考えている。
 で、そのことを立証するひとつの手がかりとして、自分が伝言板を使っていた時代の記憶を、いまこうして引っ張り出してきている次第なのである。