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 緊急事態宣言が出てからこっち、世の中の設定が、すっかり変わってしまったように見える。

 にもかかわらず、先週も書いたことだが、私の生活はたいして変わっていない。
 あるいは、私はずっと以前から緊急事態を生きていたのかもしれない……というのは、はいそうです、格好をつけただけです。本当のところを申し上げるに、私の生活は、緊急性とはほぼ無縁だ。それゆえ、このたびの事態にも影響を受けていない。それだけの話だ。

 ブルース・スプリングスティーンの歌(1973年に発売されたアルバム「アズベリー・パークからの挨拶“Greetings from Asbury Park, N.J.”」に収録されている“For You”という歌です)の中に
 「おい、人生ってのはひとつの長い非常事態だぞ」(Your life was one long emergency)  という素敵滅法な一節がある。

 私は、残念なことに、そういうロケンロールな生き方をしていない。
 いたって暢気に暮らしている。

 とはいえ、こんなにも蟄居して暮らすのは、たぶん大学に入学した最初の年の夏に軽い虚脱状態に陥って以来のことだ。
 そこで、今回は、人間が部屋に引きこもることの意味について考えてみたい。
 このことは、同時に、われわれが他人と会うことの意味を考える機会にもなるはずだ。

 このたびの蟄居生活の中で、いくつかのテレワークでの会議仕事を経験した。
 アプリの名前を挙げるなら、Zoom、Skype、Lineのグループ通話(アプリによっては「会議」と呼び習わしたりする。実態は同じ。つまり、「離れた場所にいる複数の人間が、ひとつの画面上で同時通話をする」ことだ)を使って会議をしたことになる。この原稿を書いている3日後には、マイクロソフトのTeamsという会議ソフトを使ったインタビュー取材を受けることが決まっている。