もうひとつ言えば、私個人は、この話(日本中の全世帯に2枚ずつマスクを郵送するという驚天動地のスキーム)が、机上のプランに終わることなく、公式の政府の施策として実現されるに至ったその経緯に強烈な危機感を抱いている。

 なんとなれば、この日本政治史上かつてないスチャラカなプランがそのまま実現にこぎつけてしまうための可能性は、官邸のガバナンスが著しく風通しの悪い独裁に陥っているのか、でなければ総理を囲む側近が、一から十までバカ揃いであるからなのかのいずれかの場合しか考えられないからだ。

 百歩譲って申し上げるなら、非常時にバカなプランが出てくることそのものは、そんなにめずらしい話ではない。動揺すると人は奇妙なことを思いつくものだし、どんなに賢い人間であってもミスを犯す時には、おどろくほどバカなミスをやらかすものだ。その点はわかっている。じっさい
 「コロナ騒ぎで気落ちしている国民の憂鬱を吹き飛ばす意味で、ひとつ総理が自ら『アイーン』を決めてみせるというのはいかがでしょうか」
 という提案があったのだとしても、私は驚かない。

 ただ、こういうプランは、ほかの賢いメンバーによって即座に却下されるはずだ。

 「ヤナセくん。何を言うんだ。不謹慎にもほどがあるぞ」
 「そうだとも。アイーンは一日にしてならずだ」
 「アイーンで救える命があるのだとして、誰もがそれをできるわけじゃないのだぞ」
 というわけで、首相のアイーンは回避される。これが正常なガバナンスというものだ。

 ところが、バカマスク事案はまんまと稟議(←あったのだろうか)を通過して、実現にこぎつけてしまった。

 この場合、さきほども申し上げた通り、ふたつの可能性が考えられる。

 ひとつは、本来ならアイディアをチェックするはずのメンバーが誰ひとりとしてその意向に異を唱えることのできない極めてやんごとなき筋からこの提案が持ち出されていた場合だ。

 具体的には総理あるいは副総理のアタマの中からこの作戦立案が為されていた可能性を指している。

「どうでしょう。ひとつこれはマスクをまさに配布する中においてわたくしたちの実行力をこれまでにない規模でアピールしていこうではありませんか」
 か、でなければ
 「あー、アレだよ、ホラ、知らねえか? 給食のマスクな。あのおっかさんの匂いのする懐かしいガーゼのあいつだよ。あれを一家庭に2枚がとこあてがっておけば、シモジモのみなさんも、昭和の思い出にひたりつつ納得するんじゃねえかとオレは思うわけさ」
 という感じの会議風景がとりあえず思い浮かぶわけなのだが、もちろんこの数行は私の憶測に過ぎないので、いつでも取り消す用意はできている。読んだ人は忘れてもかまわない。

 私が言っているのは、官邸が「ものを言えない場所」になっている可能性についてだ。