マスクそれ自体がもたらす防疫効果が主目的ではないのだとすると、マスクを媒介とした「お・も・て・な・し」感だろうか。
「わたくしたちは国民のために働いていますよ」
というアピールだろうか。
「そうだとも。お国はこんなにまで手間をかけて、すべての世帯にマスクを配布してくれている。その心意気を見れば、自分たちが見捨てられていないことがわかるじゃないか」
「だよな。マスクは、言ってみればオレら国民の疑心をカバーするために配布されている。そう考えようじゃないか」
とまあ、あえて好意的に受け止めればそう考えられないこともない。
でも、この受け止め方には、落とし穴がある。
というのも、政府首脳がわれら国民のために手間と時間とお金をかけて配ってくれたブツが、よりにもよって布マスク2枚だったという事実は、ある程度もののわかった国民にとっては、むしろ落胆をもたらす最後通牒だからだ。
「つまり、現金を配るつもりはないということだよね。これ」
「配れるものがマスクしかないってことは、つまり、事実上『打つ手無し』と言ってるのと同じだわな」
「7対ゼロでリードされている8回裏に、二死走者無しで三番バッターにバントのサインを出す監督がいるのだとしたら、そいつは要するに試合を投げてるわけだよな?」
たとえばの話、なにかの事情で運転資金が不足して、今月を乗り切らないと会社が倒産する窮地に立たされている男がいたとして、その彼が、恥をしのんで古い知人に借金を申し込んだのだとしよう。
もちろん、貸さないという返事は覚悟の上だ。それもこれも自分の人徳だと思っている。
とはいえ、土下座してたのみこんだその尊敬する知人が
「少ないけど、これを受け取っておいてくれ」
と言ってテーブルの上に並べたのが、2個のアーモンドチョコであったのだとすると、彼はどんな気持ちを味わうことだろう。
はじめから
「申し訳ないが、カネは貸せない」
と言ってもらったほうがどれほど楽だったか知れない。
「……あ、こ、このチョコは……?」
「うん。ひもじいだろ? 食べて元気を出してくれよ。オレからの気持ちだ」
と、豪邸の車庫にベンツとベントレーを並べて置いている先輩にそう言われたら、さぞや人間に絶望するのではなかろうか。
私のところに送られてくる2枚のマスクは、言ってみれば
「これで何か旨いものでも食ってくれ」
と言いながら差し出された50円玉2枚くらいなブツに相当する。
「バカにしてるのか?」
と思わないでいるのは、正直な話、とてもむずかしい。
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