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 引き比べて、わが国のリーダーは、国民の前にほぼ顔を出さない。
 これは、どれほど嘆いても嘆き足りないことだ。

 メルケル首相は、ドイツ国民一人ひとりに向けて、さらにはドイツにいる外国人や底辺の労働者にも目を配りながら、新型コロナウイルスとの長く苦しい戦いに臨む覚悟を求める歴史的な演説を披露した。

 ジョンソン首相も、いつもとは違う真剣な表情と言葉で、丁寧に政府の施策を説明し、国民に理解を求めている。

 トランプ大統領も、いつものウケ狙いのスベったジョークや底意地の悪い罵詈雑言とはまるで違う口調で、米国民に自覚と希望を持ち続けることの大切さを訴えている。

 彼らは、いずれも未曽有の危機に当たって、政治家の本領を遺憾なく発揮してみせたと言って良い。

 一方、うちの国の政府の人間は、テレビの画面に出ることを極力避けようとしている。
 記者会見では質問を打ち切るし、そもそも、臨機応変な記者との受け答え自体を、あらかじめ拒絶している。

 こんな態度で、国民に政策を説明できる道理がないではないか。

 ふだんの日常的な政策は、官僚に説明させればそれで足りるのだろうし、施策の細部について言うなら、担当官庁の役人の方が詳しいのだろうからして、彼らに説明を委ねることは、むしろ適切でもあるのだろう。

 しかし、危機への対応は別だ。

 文字通りの「国難」に対処する場面では、選挙で選ばれた政治のリーダーが、自分の言葉で国民に直接語りかけることが絶対に必要なはずだ。
 が、そのことがこの国ではおこなわれていない。

 なんという損失だろうか。

 一説には、危機に直面する場面で国民の前に顔を晒すことで、失敗の責任を取らされることを避ける深謀遠慮だという見方もある。

 まさかそんなことはないと思うのだが、そうでないにしても、言葉が少ない。
 少ないだけならまだしも、出てくる言葉があまりにも空疎だ。