私がさきほどから、くどくどと弁じ立てているのは、フリーランスと勤め人のどちらが偉いとか、どちらがより素晴らしい生き方であるとか、そういう話ではない。

 二つの対照的な人間たち同士が、互いを理解することの難しさについて、なんとかうまく書けないものかと、私はずっと苦しんでいる。

 私は、このことについて、これまでにも何度か説明を試みてきたのだが、その度に失敗してきた自覚を持っている。
 どう書いても誤解されるのだ。

 私の文章力が足りないからなのか、読者の読解力が届いてくれていないからなのか、ともかく、私はフリーランスの人間がかかえている不安と自負と持って行き場のない憤りについて、行き届いた文章を書けたためしを持っていないのである。

 そんなわけなので、ここでは、説明的な書き方をあきらめて、ポエムを書いてみることにする。

 昨年の暮れからこっち、Amazonプライムのラインアップを眺めつつ、退屈しのぎに「男はつらいよ」のシリーズのうちの何本かを見た。

 その感想を書く。

 どの作品でも、ほとんど脅迫的に繰り返される場面のひとつに、寅次郎の妹のさくらが、泣きながら柴又の街路を走るシーンがある。

 多くの場合、さくらは唐突に出て行ってしまった寅次郎の後を追って
 「おにいちゃん!」
 と言いながら走っている。

 追いつく場合もあるし、あきらめて座り込んでしまうケースもある。
 いずれの展開でも、さくらは涙を流し、あるいは涙ぐんでいる。
 「おにいちゃん……ホント、バカなんだから」
 というセリフを言う時もあるし、黙ってうつむいているだけの時もある。

 私は、この時のさくらの心情こそが、フリーランスを見つめる日本人の視線なのだと、毎回必ずそういう感想を抱かされた。

 バカで不適応で不器用な兄。
 集団にうまく適応できないくせに強がってばかりいるお兄ちゃん。
 パズルにハマれないジグソーのピースみたいに哀れで頑なな風来坊。
 虚勢を張っていることを万人に見破られていることに一人だけ気づいていない寅次郎。

 フリーランスは、日本経済にとっても、そういうぎこちない存在だ。
 だからこそ、さくらは兄がかわいそうでならない。
 おにいちゃんのことを考えると、いつも、われ知らず涙ぐんでしまう。

 おそらく、安倍首相にとっても、フリーランスというのは、そういう哀れだが救えない対象なのだと思う。

 まとまりのない結末になってしまった。

 私は、いま、プイッと旅に出てしまいたい衝動にとらわれている。

 寅次郎は大人になれない。

 それはとてもつらいことだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

延々と続く無責任体制の空気はいつから始まった?

現状肯定の圧力に抗して5年間
「これはおかしい」と、声を上げ続けたコラムの集大成
「ア・ピース・オブ・警句」が書籍化です!


ア・ピース・オブ・警句<br>5年間の「空気の研究」 2015-2019
ア・ピース・オブ・警句
5年間の「空気の研究」 2015-2019

 同じタイプの出来事が酔っぱらいのデジャブみたいに反復してきたこの5年の間に、自分が、五輪と政権に関しての細かいあれこれを、それこそ空気のようにほとんどすべて忘れている。

 私たちはあまりにもよく似た事件の繰り返しに慣らされて、感覚を鈍磨させられてきた。

 それが日本の私たちの、この5年間だった。
 まとめて読んでみて、そのことがはじめてわかる。

 別の言い方をすれば、私たちは、自分たちがいかに狂っていたのかを、その狂気の勤勉な記録者であったこの5年間のオダジマに教えてもらうという、得難い経験を本書から得ることになるわけだ。

 ぜひ、読んで、ご自身の記憶の消えっぷりを確認してみてほしい。(まえがきより)

 人気連載「ア・ピース・オブ・警句」の5年間の集大成、3月16日、満を持して刊行。

 3月20日にはミシマ社さんから『小田嶋隆のコラムの切り口』も刊行されます。

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。