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 この3年ほど、引火性の高い話題をぶちまけ続けてきた加計学園グループが、ようやくほとぼりがさめたかに見えるこのタイミングで、意外な火種を提供している。

 話題は、例によって「週刊文春」によるスクープという形で、まずはウェブ上で告知された。内容は、2017年に、侃々諤々の議論の中で半ば強引に認可された岡山理科大学の獣医学部の不正入試にかかわる告発記事だ。

 ネットにアップされた予告記事を一読して、翌朝、一番に近所のコンビニで「週刊文春」本誌を入手した。これは、読まないわけにはいかない。

 内容から見て、当該の記事は、岡山理大の関係者による内部告発を踏まえたものだ。昔からの現場の記者の言い方で言えば「タレコミ記事」ということになる。

 それにしても、このテの内部告発ネタの持ち込み先が、新聞社でなくなっているという事実に、私の世代の人間は、一抹の寂寥感を抱く。

 おそらく、内部告発者は、タレコミのネタを新聞社に持ち込んでも、展開次第では、先方が政権に忖度して、記事を握りつぶす(古い報道の人たちは「ネグる」という言い方をしていましたね)可能性を恐れたのだろう。

 ありえない話ではない。昨今の状況を鑑みるに、新聞社の上の方の人間が、ネタを記事化しない選択肢を選ぶなりゆきは十分に考えられる。そうでなくても、タレコミのネタは、新聞社と政権周辺との間の取引の材料に使われて、ナマの形では日の目を見ないかもしれない。これも非常にありそうな話だ。

 と、この種のハレーションのデカそうな話題を、真正面から記事にする根性を持っているように見えるのは、現状では、週刊文春の一択だろう。

 実際のところ、私は、3年ほど前から、「文春砲」などという夜郎自大な述語を振り回しつつ、やたらと調子ぶっこいているあの雑誌の編集部に、良い感情を持っていないのだが、それでも、岡山理大の内部告発者が、タレコミ先として、週刊文春を選んだ気持ちはとてもよく理解できる。私自身、自分がヤバげなネタをつかんだら、文春に持ち込むことになるはずだ。新聞は、もはや信頼できない。先日の全国一斉休校を要請した際の首相会見(←2月29日の総理会見)を仕切っていた幹事社の朝日新聞の人間の司会ぶりをテレビ画面越しに眺めながら、つくづくそう思った。社員記者の面々は総理の足元に鎮座している。まるで飼い猫みたいに、だ。

 新聞やテレビ各社をはじめとする記者クラブメディアは、官邸や政府との共存共栄(最近の言い方で言えば「Win-Win」ですね)関係の維持を、どうやら国民の疑念を晴らすことよりも上位に置いている。

 記者たちが政権や各省庁との駆け引きの中で、ネタの出し入れをすることは、互いの省力化のために必要な措置であるのかもしれない。とはいえ、あらかじめ申告した質問へのあらかじめ用意された回答に満足して、15分で質問時間を打ち切るようなやりとりを「記者会見」と呼ぶことは、言葉を扱う職業の人間には耐えられない欺瞞であるはずだ。あんな五人囃子の笛太鼓みたいな会見映像を全国放送されて、それでも記者章をぶら下げて歩いていられるのは、私に言わせれば恥知らずということになる。

 当然、2月29日の総理会見の後、ネット上には、会見を差配した記者クラブへの不満が爆発する形になった。

 で、不満の声に答える形で、3月3日付の毎日新聞は、秋山信一記者の署名入りで、
《首相と閣僚の記者会見は“出来レース”か 政治部記者が明かすその実態》
 という見出しの記事を配信した。

 記事を読んで、記者クラブと被取材者の関係が、一方的な上下関係ではないということは理解できた。

 事前に質問を通告しておくことが、まるっきりの「出来レース」とは違う意味を持っていることもよくわかった。互いの情報交換を円滑にするための下準備は、当然必要な作業なのだろう。

 ただ、それはそれとして、記者の仕事をわかりやすく説明してくれているこの記事の行間に、首相をフォローするニュアンスが横溢してしまっている。この点に私は失望を禁じ得なかった。