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 目に見えないウイルスや、暗がりに潜んでいるかもしれない幽霊や、なにかの拍子に転落したら確実に死をもたらすに違いない高所や、いつ飛翔に転ずるかを決して明らかにせずに高速移動しているゴキブリ君の光る背中のような対象は、40℃の湯加減ほど快適なものでもなければきっぱりと数値化できるものでもない。

 高所恐怖症をかかえている人間は、「閉じたガラス窓の向こう側から君を外に吸い出すような風が吹くことは絶対にありえない」と何度説明しても、高層ビルの窓際に立つことはできない。理由は、彼が建築に無知だからでも物理学を理解していないからでもない。恐怖というのは、そもそも理不尽なものなのだ。いくら理屈で安全であることを理解していても、怖い人間にとっては怖い。

 飛行機恐怖症の人に、誰かが飛行機の安全性を教えたら
 「なるほど、飛行機はバスやタクシーよりもずっと安全なのだね」

 と、その瞬間に恐怖症が消えてなくなるのかというと、そんなことは決してありえない。

 当然だ、飛行機恐怖症の患者は、理詰めで怖がっているのではない。とすれば、理屈で納得させたところで、彼の恐怖が消える道理はないのである。

 私自身の話をすれば、私は、若い頃、暗いところがひどく怖かった。

 30歳くらいになるまでは、一人で夜道を歩く時は、ほぼ全力疾走をしていた。暗い部屋や暗い倉庫には入れなかった。もちろん暗い森だとかは問題外だった。

 しかも、思春期から20代にかけて、私は、そのことをとても強く恥じていた。

 自分の恐怖を誰にも見破られないように、大変に労していたことを思い出す。

 その暗闇への恐怖感は、ある時、ふと気がつくと消えてしまっていたのだが、その時期も理由もはっきりとはわからない。

 かように、恐怖は、説明できない部分を多く持っている。

 いま現在、ウイルスへの恐怖に苦しんでいる人たちも、自分の感情が過剰反応であることは重々承知しながら、それでも怖いのだと思う。

 そういう人間に向けて、「正しい情報」をおしつけることが、どんなに失礼で思いやりを欠いた行動であるのかということを、この場を借りて強く訴えておきたい。

 私自身は、今回のウイルスをほとんどまったく恐れていない。

 それは、私が豪胆だからではない。

 ファクトに基づいたサイエンティフィックな考え方が身についているからでもない。

 単にその方面に関して比較的無神経だからだ。

 人は、誰であれ、分野別に特有な恐怖や無神経の傾向を持っている。

 食べるものの清潔にやたらと神経を配る人間が、一方において机の整理がまるでできないということもあれば、高いところや暗がりをまるで恐れないおっさんが、小さなテントウムシが肩にとまっただけで気を失わんばかりに取り乱すケースもある。

 不安もまた同様で、あらゆる燃料ゲージや保管アイテムをすべて満タンにしておかないと安心して眠れないタイプの青年がいたかと思えば、月のはじめに預金口座がゼロになっていることに、電気を止められてはじめて気づく暢気なお嬢さんが実在していたりもする。

 とすれば、市民社会で暮らす常識ある人間は、他人の不安や恐怖を笑うことはもちろん、それらをつかまえて説教をカマすこともなるべく控えるべきだと思っている。