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 ちなみに「正しく怖がる」というこの言い方は、前の震災以来の、言ってみれば流行語で、私はこの言葉をあまり高く評価していない。

 理由は、「正しく怖がる」というこの言い回しの中に、すでにして「正しく認識すること」を「むやみに怖がること」の上位に置く理性万能主義が露見しているように見えて、その理性万能主義の浅薄さに抵抗を覚えざるを得ないからだ。

 科学的知見に重きを置くことそのものは悪いことではない。

 しかし、たいして賢明でもないそこいらへんのおっさんがファクトだとかエビデンスだとかサイエンスだとかを上位に置くものの考え方を平板に採用すると、その対処法は、人間の感情を軽視し、感情を持った人間を軽蔑し、事態に直面して動揺する人間の精神を踏みにじる結果をもたらす。なので、この言葉は慎重に使わないといけない。少なくとも私は、ゴールデンタイムの教養バラエティーの中で、タレントに転向した学者さんが単純に連呼してよい言葉だとは思っていない。

 もちろん、
 「正しく怖がる」
 という言葉の指し示すところが
 「正しい情報を正しい方法で収集して正しく認識しましょう」
 「その情報を踏まえて、警戒すべき対象と警戒せずに済ます対象との間にしっかりとした線を引きましょう」
 「こうすれば、怖いものには近づかずに済むし、怖くないものにおびえる必要もなくなります」

 と、ざっとこういう話であることは、なんとなくわかっている。

 その方針が大筋として、悪くないことも理解している。

 実際、この対処法は、相手次第では大変に有効だ。

 たとえば、100℃の水を飲んだり浴びたりしてはいけない。やけどをしてしまうからだ。4℃の水で入浴するのも良くない。10分以上つかっていると低体温症で命を落とすかもしれない。

 正しく温度を測定して、その温度に合った対処法を正しく認識していれば、40℃のお湯を怖がる必要はなくなるし、60℃の温泉に飛び込んでやけどを負うこともなくなるだろう。てなわけで、水を扱う時に正しい方法で温度を測ることと、その温度ごとの対応を学ぶことは大変に有効な学習だってなことになる。

 ただしウイルスは、水の温度ほど簡単ではない。