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 新型コロナウイルスによる肺炎が、実際のところ、どの程度蔓延しているのか、私は、正確な情報を持っていない。幾人かの専門家が、現時点でのおおまかな推測を語ってくれているのだが、ひとくちに専門家といっても、いろいろな立場の人がいて、言っていることの内容もピタリと一致しているわけではない。感染者を多めに見積もっている人もいれば、軽めにアナウンスする人々もいる。なので、どちらに信を置くのかによって、私のような素人の見方は、かなり大幅に変わってしまう。

 対策についても同様だ。

 こまめな手洗いうがいを心がけて、不要不急の外出を控えるといったあたりの対処法に関しては、ほとんどの専門家の意見が一致しているものの、その先の対応(発熱、咳などの症状が出た時に、どんなふうに対処すべきなのか、あるいは、重症者以外への検疫の是非などなど)をどうするのかということになると、彼らの間でも様々に見解が分かれている。

 と、自前の知見や独立独歩の思考力を持っていない一般人たるわれわれは、結局のところ「どの専門家のどの意見を鵜呑みにするのか」の選択肢を持て余すばかりで、事実上、どうすることもできない。

 今回は、新型肺炎周辺の話題について書こうと思っている。

 当然のことながら、読者に向けて未知のウイルスへの正しい対処法を伝授するつもりはない。

 私は、読者を啓蒙するに足る知識を持っていないし、それだけの見識も備えていないからだ。

 というよりも、私自身、どう対処して良いのやらわからずにいる。

 そんな人間が、他人に説教を垂れることができてたまるものか、と、そんなわけなので、ここでは、対処法以前の話として、「不安」をどう扱うべきなのかについてあれこれ考えるつもりでいる。

 自分自身の不安にどうやって対峙すべきなのかも重要だが、それ以上に、むしろ、他者の不安をどうやって受け止めるのかについて真剣に考えなければならないと思っている。ここが大切なポイントだ。

 どうしていまさらこんなことを言い出しているのかというと、個人的に、今回の新型肺炎騒動を通じてはっきりしつつあることのひとつに、わたくしども令和の日本人の多くが「不安」ならびに「恐怖」という感情を、軽視しているということがあると思っているからだ。

 不安に駆られている人々を、われわれは適切に扱うことができない。

 また、自分が不安をかかえてしまった場合でも、私たちは、その自分自身の不安を適切に処理することができない。

 なぜこんなことになってしまったのだろうか。