さらに2月19日には、毎日新聞が「水説」という同紙の専門編集委員による署名入りの連載コラムで
 《怒れる検事長OB》

 という見出しの文章を載せている。

 ここでは、
 《知り合いの検事長OBに聞いてみた。国家公務員法の適用は妥当かと。「僕はそう思わない」と一人は言った。「これはルール・オブ・ロー(法規範)から外れている。内閣と検察がお互いに緊張感を持って仕事をするのがルールだ」。別の一人はもっと直接的だった。「黒川君を抱えないとやれない重要事件って何よ。総理や法務大臣に定年が恣意(しい)的に動かされると、検察官の独立性に影響する可能性がある。怒っている人が多い」》

 と、法曹界内部に広がる怒りと反発の声を紹介している。

 ともあれ、新聞各社は、現政権による異様な人事への憂慮の念を記事化すべく、努力を続けている。

 個人的に、このニュースは、現政権が「人間」を道具のように扱うやりざまのひとつの典型例だと思っているのだが、より専門的な見地から、今回の人事を、三権分立の原則を脅かすとてつもない暴挙だと評している人たちもいる。

 当稿では、そこのところには触れない。

 理由は、私が法の支配や三権分立に関して専門的な知識を持っていないからでもあるのだが、それ以上に、個人的な関心に訴えたのが、「ボスと下っ端の間のやりとり」という、より卑近なテーマだったという事情に依拠している。

 私たちは、上からのゴリ押しに弱い。

 コンビニの店長とアルバイトの関係で日々起こっているのと同じことが、政権の中枢でも繰り返されている。

 うちの国の民の多くは、原理原則よりも目先の人間関係の圧力に従うことで日々の暮らしを営んでいる。

 その人間的な弱さのあらわれ方が、あまりにも身に迫って感じられたので、今回はその話をする。ウソをつかされる人間の心が、どんなふうに死んでいくのか。これは人ごとではない。圧迫的な人間関係の中で暮らしている日本人の多くが毎日のように経験していることだ。

 検事長の定年延長をめぐる話題が国会で取り上げられると、野党側からの質問に対して、しかるべき立場の官僚が説明をせねばならないわけなのだが、権力勾配のもたらす圧力は、当然、この立場の人間に集中することになる。

 面白かったのは、人事院のお役人の答弁の変遷だ。

 記事によれば、答弁に立った人事院の松尾恵美子給与局長は、2月12日の衆院予算委員会で
 《定年延長導入を盛り込んだ国家公務員法改正案が審議された1981年、人事院が「(延長は)検察官には適用されない」との解釈を示していたことを指摘され、「現在まで同じ解釈を続けている」と答えた。》

 ことになっている。それが、19日には
 《立憲民主党の山尾志桜里氏の質問の際、松尾氏が「『現在』という言葉の使い方が不正確だった。撤回させていただく」と答えた。さらに1月22日に検察庁法を所管する法務省から定年延長について相談があり、24日に「異論はない」と書面で返答したとも説明。森雅子法相も解釈を変更した時期を「1月下旬」と答えた。》

 てなことになっている。