東京高検検事長の定年が延長されたニュースの第一報が流れたのは、先月末(1月31日)だった。

 この時点の記事は、リンク切れになっている。

 新聞社にとって、記事が、コストと人員をかけた制作物であり、なおかつ大切な収益源であることを考えれば、読者たる私たちが、記事の無料公開を期待するのは、虫の良すぎる話なのだろう。この点は理解できる。当然だとも思う。

 ただ、一定の期間を過ぎた記事をいきなりリンク切れにするのではなく、有料での閲覧に切り替えるなり、過去記事閲覧サービスへの紹介ページに誘導するなりの措置は、あってしかるべきだと思う。

 自分の原稿に限らず、ちょっと前のブログ記事やウェブ上のコンテンツからリンクした先の記事が、行方不明になっていた時の失望感はバカにならない。メディア各社には、ぜひリンク切れ記事の処理の再考をお願いしたい。ちなみに、諸外国では、過去記事は国民共有の財産(ないしは情報源)として、無料で公開している例も少なくないと聞く。過去記事を太っ腹に公開することで、記事閲覧サービスへの加入者拡大を促す可能性もゼロではないと思う。ぜひ検討してもらいたい。

 話を元に戻す。私が個人的にクリップしていた記事を要約すると、1月末の時点の朝日新聞の記事は、当該の人事が閣議決定されたことと、検事長が検察官の定年を超えて勤務を続けるのが初めてのケースである旨を簡単に伝えたものだった。

 翌2月1日付の朝日新聞デジタルの有料記事では、
 《高検検事長の定年延長、官邸介入で「やりすぎでは」の声》

 という見出しで、手続きの異例さと、当該の人事への反響を伝えている。

 2月11日には、東京新聞が「視点」という編集局次長による署名原稿の形で、
 《検事長人事案を官邸に蹴られた… 前代未聞の人事介入は検察の独立性を揺るがす》

 という解説記事を掲載した。

 本文では
 《黒川氏は法務省の官房長、次官を計七年五カ月も務め、与党に幅広い人脈を持つ。この間、検察は政治家の絡む事件に積極的に動くことはなかった。「安倍政権の守護神」とやゆされたこともあった。今回の定年延長は「腐敗摘発はほどほどに」という検察へのメッセージだと受け止めた国民も多かったと思う。検察の独立性を揺るがすことだと想像できないのだろうか。長期政権末期の腐臭が漂う出来事である。》

 と、きびしく断言している。