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 もう一つがっかりしたのは、野村萬斎氏が政権中枢の人々に媚びる文脈の中で個人主義を腐してみせたコメントについて、古典文学や古典芸能にたずさわっている有識者が、一人として抗議の声を上げていない(←私の観察範囲では)ことだ。

 お国の補助金で食いつないでいる古典業界(←あえて「業界」という言葉を使わせてもらうことにしました)の人々にとって、政権批判はご法度だと、そういうことなのかと思うと、なんだか生きているのがめんどうくさくなってくる。

 実際、ツイッターの中でも、ふだんから古典の話ばかりしているアカウントは、絶対に政治的だったり党派的だったりする話題には絡もうとしない。

 つまり、それが彼らの処世なのだね。

 古典びいきだから事なかれ主義に終始しているのではなくて、むしろ、論争的で政治的で物議をかもしがちな話題や、現実的で生臭くて世俗的で面倒でアクチュアルな出来事や考え方とは距離を置いて、ひたすらに王朝的で貴族的で浮世離れした、優雅で高踏的な要素に逃避することを願っているからこそ、古典の花園に逃げ込んでいると、そういうことなわけだ。

 不機嫌な結論になった。

 個人的には、ツイッタージャパン社が、日本青年会議所とメディア・リテラシーの確立に向けてパートナーシップ契約を結んだニュースにも毒気を抜かれた。

 がっかりしたとか失望したよりも、自分がかねがね抱いていた疑念が、あまりにもドンピシャリに正鵠を射ていたことに茫然自失している。

 なんでも、ツイッタージャパンと手に手をとってメディア・リテラシー向上のために活動していく旨を宣言している日本青年会議所が、メディア・リテラシーの啓発を目的として始めたツイッターアカウントは、早速、ジャーナリストの津田大介氏が「発狂している」旨を投稿したのだそうだ。

 コメントする気力も湧かない。

 本来なら、ツイッターのようなメディアは、多様性と個人主義に足場を置いているということになっている。

 それが、どういうことなのか、愚かで短絡的な人たちの玩具になりさがろうとしている。

 私個人としては、いまさら発狂する年齢でもないので、身の振り方を真剣に考えなければいけないのだろうと思っている。

 「はまらなかった」てなことで、黙って消える末路も覚悟しておかねばならない。

 まとまらない原稿になってしまった。
 読者にはすまなかったと思っている。

 もしかすると、私の書き方が断片的になっているのは、この数年来のツイッター依存と関係があるのかもしれない。

 そういう意味では、いっそ縁を切るのも悪くない選択だ。

 自分自身の人格が多種多様になっているようなら、そりゃ発狂かもしれないわけだから。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

小田嶋隆×岡康道×清野由美のゆるっと鼎談
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 「最近も、『よっ、若手』って言われたんだけど、俺、もう60なんだよね……」
 「人間ってさ、50歳を超えたらもう、『半分うつ』だと思った方がいいんだよ」

 「令和」の時代に、「昭和」生まれのおじさんたちがなんとなく抱える「置き去り」感。キャリアを重ね、成功も失敗もしてきた自分の大切な人生が、「実はたいしたことがなかった」と思えたり、「将来になにか支えが欲しい」と、痛切に思う。

 でも、焦ってはいけません。
 不安の正体は何なのか、それを知ることが先決です。
 それには、気心の知れた友人と対話することが一番。

 「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。

 同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。

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