全6345文字

 そのアイヌの人々の思いを
 「はまらなかった」
 という浅薄きわまりないコメントとともに不採用とした野村萬斎氏の判断に、私は、失望以前に、ほとほとあきれ返った。

 なぜというに、
 「はまらなかった」
 という説明は、説明ではなくて、説明放棄だからだ。

 これは、期限内にリポートを提出できなかった学生が、書けなかった理由を質す声に対して
 「書けなかった」
 と回答したに等しい捨て台詞だ。

 事情を説明するつもりなら、書けなかった理由を明らかにしなければならない。
 「病気で寝ていた」
 でもよいし、
 「実家で不幸があって忙殺されていた」
 でもかまわない。

 とにかく、結果としてリポート不提出の事態に至った理由を相手に伝えないと、誠実に説明をしたことにはならない。

 ところが、野村萬斎氏は

 「はまらなかった」
 と言って、それ以上の言及をしていない。これでは
 「やる気が出なかった」
 「どうでもよいと思ったので別段の努力はしなかった」
 「めんどうくさかったので放置した」
 と言っているのとなにも変わらない。

 このコメントから伝わってくるのは、野村萬斎氏にとって、アイヌの人々の要望が、取るに足らない些事に過ぎなかったのだろうということだけだ。

 で、私は、Asahi.comの記事を読んだ直後に

 《これ、演出的にはまらなかったのではなくて、「2000年にわたり同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝…日本しかない」という政権中枢の思想にはまらなかった、ということではないのだろうか。
 五輪開会式、アイヌ舞踊は不採用「はまらなかった」:朝日新聞デジタル - 2020年2月8日0時34分》 

 《「アイヌ利権」がどうしたとかいったお話を大真面目な顔で拡散しにやってくるアカウントが大量発生しているところから見ても、「はまらなかった」のは、演出上の理由というよりは、政治的な判断だったのだろうね。震災からこっちのたった10年ほどの間に、本当にバカな国になってしまったものだよ。- 2020年2月8日午後2時5分

 《文化的な多様性に配慮しつつアイヌの踊りを「はまるように」演出する力量がないのなら、あるいは、圧力をはねかえすだけの覚悟を持っていないのであれば、はじめから引き受けるべきではなかったのではないか。結果として、少なからぬ人々を失望させ、自分自身も恥をかくことになった。 - 2020年2月8日午後5:20

 という3つのtwを連投した。