彼または彼女は、自分の野次が「非常識」で「空気を読まない」「異端の」声だとは、ついぞ考えなかった。むしろ、玉木氏の要望への痛烈な反撃である自分の言葉が、少なくとも自民党議員の「総意」ないしは、「安倍総理を中心とする党中枢のメンバーの主張を集約したコメント」であると強く確信しているがゆえに、あの場で、玉木氏に届く声量で、
 「それなら結婚しなくていい」

 という主張を呼ばわったはずなのである。

 野党が導入を求めている選択的夫婦別姓は、その名が示す通り、結婚するカップルに対して、夫婦別姓を「選択的」に容認することを旨とする民法第750条の改正案だ。

 ここでいう「選択的」の意味は、具体的には、新たに結婚する夫婦が「夫婦別姓」と「夫婦同姓」のうちのどちらでも好きな方を選択できるということで、実質的には「自由選択」を許す手続きだ。

 思うに、読解力の高くない人々は、ここのところを誤解している。

 「選択的夫婦別姓」

 という字面(じづら)から、いきなり「夫婦別姓がベースになる」というイメージを受け取って、その「新しい夫婦の誰もが夫婦別姓で結婚する」イメージに対して反発を抱いたうえで反対に回っている人々が、おそらく日本人のうちの3割かそこいらはいるのではなかろうかと思うのだ。

 でなくても、この問題を
 「夫婦別姓と夫婦同姓とどっちがいいのかしら?」

 というざっくりした二択の問題としてとらえてしまっている人は少なくないはずだ。でもって、

 「別姓っていうのも色々と不便そうだし、だいいち子どもがどっちについていいかわからなくてかわいそうじゃない? 私は別姓には反対だわ」

 てなことを考えて、選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いると私は想像している。

 違うのである。

 私たちは
 「夫婦別姓と夫婦同姓のどちらが望ましいのか」

 を問われているのではない。われわれは

 「夫婦同姓を強制されるべきなのか、それとも、別姓婚を選びたい人に選択の自由を容認するのか」

 の二択を問われている。

 もっといえば、選択的夫婦別姓がわれわれに問うているのは、
 「強制vs自由」
 のどちらを選ぶかなのであって、それゆえ、最終的にこの問題は、
 「他人の別姓婚を許すのか」

 という問いかけに還元される。

 論理が飛躍したと思っている読者がいるかもしれない。でなくても、ややこしくなっている。