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 私は、当時、この歌を偏愛していた。

 理由は、たぶん、この作品が、歌詞といい、歌いっぷりといい、ノイズとして収録されているスタッフの笑い声といい、どうにもユルいツクリだったからだと思う。

 1968年から69年にかけてのビートルズは、世界の音楽をひっくり返す革命の中心にいる、神の如き存在だった。

 その彼らがリリースする楽曲は、どれもこれも、パラノイアック(偏執的)なほどに異様な集中力で作られた緻密な工芸品ばかりだった。

 だからこそ私は、スタジオ作業のお遊びの中で生まれた感じのする、即興的な、思いつきっぽい「オール・トゥゲザー・ナウ」に魅了されたのだと思う。

 私は、昔から、大家だったり天才だったりする人たちが、片手間でこしらえた感じのやっつけ仕事に目がない。たとえば三島由紀夫で言えば「肉体の学校」だとか「絹と明察」あたりの軽めの読み物が好きだし、そのほか、ピカソによる牛のスケッチだとかにも強い愛着を感じる。

 話をもとに戻す。

 「オール・トゥゲザー・ナウ」は、テーマだけを取り出すなら「全員団結」を呼びかけた歌ではある。

 とはいえ、そのテイストは、JOCによる「全員団結!」とは、まるで違う。

 というのも、ビートルズの「オール・トゥゲザー・ナウ」は、そもそも「てんでんばらばら」で、「ごちゃごちゃ」で「サイケデリック」な、世界中のファンに向けて歌われた、即興の祝祭歌だからだ。

 それゆえ、歌い出しもバラバラなら、エンディングも適当で、コーラスさえピタリと合っていない。

 で、この歌は、映画『ビートルズ イエロー・サブマリン』のエンドロールが流れる中、全世界の何十という言語による"All together now"の翻訳字幕を代わる代わる表示しながら、日本語字幕での
 「それでは皆さんご一緒に」

 という表示を最後に、あくまでも楽しげに、酔っぱらいっぽく、演奏・歌唱される。

 ごらんの通り、「オール・トゥゲザー・ナウ」は、世界中に散らばる人間の多様さとその彼らの間にある不一致をまるごと受容したうえで、その混乱した世界の中の矢鱈滅鱈に素っ頓狂な人々(歌詞の中では、「数」や「文字」や「色」を順次列挙することで、世界の多様性を表現している)に向けて、

 「一緒に歌おうよ」

 と呼びかけていたわけで、これは、どう見ても「挙国一致」だったり「一億総決起」だったりのスローガンとは似ても似つかない「斉一性」よりは「多様性」を志向した歌なのである。