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 つまり、なんというのか、私は、「全員団結プロジェクト」のホームページから、「政治宣伝の匂いのする」「スローガンっぽい」「アジテーションくさい」「マニピュレーション臭」それ自体を感じ取ったわけで、それゆえ、内容以前に、その「演説口調の」「大量の唾液が飛んできそうな」「絶叫調の」文体に、時代錯誤の印象を抱かざるを得なかった次第なのだ。
 「おいおい、何を大音声で呼ばわってるんだ?」
 と。

 ぜひ決めつけないでほしいのだが、私は、
 「50年ぶりに迎える国家的なイベントである夏季オリンピックを、国民全員で、心をひとつにして盛り上げようではありませんか」

 という、このプロジェクトの趣旨そのものを、正面から全否定しようとたくらんでいるのではない。

 私は、主催者がイベントを盛り上げたいと願うのは当然のことだと考えている。そのために彼らが努力を傾けていることについても、ごく自然な態度だと思っている。

 ただ、その努力の結果として完成したホームページが、どうしてこれほどまでに前時代的なデザインに着地したのかにいささか意表を突かれているわけで、それで、余計なお世話だとは思いながらも、JOCの中枢を占める人々の頭の中身を心配しているということだ。

 あるいは、あの「全員団結」のデザインは、新しいとか古いとか、そういう物差しで評価すべき対象ではないのかもしれない。というのも、実のところ、あのデザイン(というよりも、事実上は「デザインの放棄」なのだが)は、21世紀の現時点に至ってなお、街頭やウェブ上のあらゆる場所に溢れかえっている王道の意匠でもあるからだ。

 具体的には、価格なり商品名なりプロジェクト名なりを、目もあやな赤色太文字の安ピカPOP体で強調表記するそのデザイン思想は、スーパーの安売りチラシや家電量販店の店内ポップや霞が関の役人が内製するポンチ絵において、常に第一の選択肢になっている。とすれば、あれは古いとか新しいとかいうよりは、端的に「うるさい」と評価すべき物件なのであって、あの絶叫調の赤色極太ゴシック体はティッシュが5箱で247円だったりすることを強調するために利用されるべき書体だ、と、そういう話なのだろう。

 サッカーやラグビーのW杯を思い出してもらえばわかる通り、この種の国際的なスポーツイベントは、期日が迫って競技が始まれば、いやでも盛り上がることになっている。なにも、お国や組織委員会がカネや太鼓で煽り立てなくても、夢中になって駆けずり回る人たちは必ずや大量発生する。

 もちろん、競技やイベントに興味を示さない国民もいるはずだ。大会がもたらす喧騒や混雑に不快感を表明する人々も少数ながら現れるだろう。
 とはいえ、総体としてみれば、国民の大多数は自国の選手を応援するはずだし、彼らは、そうやって大勢で自国開催のスポーツイベントを観戦することを心から楽しむに決まっているのだ。

 それでいったい何が不満なのだろう。

 このうえ、JOCはわれわれに何を望んでいるのだろうか。