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 正月休みは何もしなかった。

 2月刊行(予定)の書籍のゲラを3件と、正月に締め切り(建前上の締め切りはそのまたずっと前だったりするのだが)を設定されている単発の原稿をいくつかかかえていて、本来なら年末年始は仕事に専念しているはずだったのだが、何もできなかった。

 私は、まるまる10日間ほど、機能不全のまま過ごしていたことになる。とすれば、少なくとも仕事をしていなかった期間分だけは休めていたはずなのだが、そういう実感はない。むしろ疲労している。何かに追いかけられながら立ち尽くしていた後味だけが体内に残っている感じだ。

 おそらく、生来の貧乏性で、長い休みを心安く過ごすことが苦手なのだろう。

 ところが、松が明けて、ほぼ10日ぶりに原稿を書き始めてみると、案の定、執筆のための手がかりが、まるで思い浮かばない。

 うっかりものを考える人たちは、10日間も無為のままに過ごした後であるならば、それだけリフレッシュして、さぞやアイディアが自在に湧き出てくるはずだと考えたりする。

 でも、違うのだ。

 休めば休むだけ、アイディアは枯渇する。少なくとも、私の場合はそうだ。

 アイディアは書けば書くほど湧き出してくるものだ、と、ポジティブに言えばそう言い換えることもできる。

 実際、原稿のネタは、原稿を書いている最中でないと出てこないものだ。だからこそ、Aの原稿を書いていると、別のBの原稿のアイディアが、ふと思い浮かんできたりする。

 ということはつまり、アイディアは、瓶の中に入っている有限な液体よりは、むしろ地下水脈に似ているわけだ。掘り進めば掘り進めるだけいくらでも湧いてくる半面、掘る手を休めると、その時点で枯渇してしまう、と、そう考えるのが、たぶん、勤勉な書き手であるための有効な考え方なのだろう。

 別の言い方をすれば、勤勉な時間の過ごし方に快適さを感じる意識のあり方を、才能と呼ぶわけだ。

 さてしかし、新年の最初の仕事は、怠惰な自分を起動する困難な作業から出発せねばならない。

 思うに、正月は、令和の日本の中に残された古い日本の名残というのか、昭和の呪いだ。 

 日本の正月は、古い血族が実家に参集するところからはじまる。というのも、正月は、カレンダーに刻印されたスケジュールである以上に「血族の紐帯」が綾なす重苦しい意図をはらんだ、一連の儀式であるからだ。

 ポール・サイモンの古いアルバム(“Paul Simon”)の中の一曲に「Mother and Child Reunion」という歌がある。邦題は「母と子の絆」(直訳では「母と子の再結合」ぐらいか)ということになっている。

 この歌が収録されているLPレコードを、私は高校生の時に手に入れて、それこそレコード盤が擦り切れるまで愛聴したものなのだが、当の「母と子の絆」については、長い間、母子の間の相克や葛藤を描いた思わせぶりな歌なのだろうくらいに思っていた。