基本的にありがたいものではあるものの、身に降りかかる実感としては、とにかくうっとうしくもめんどうくさい存在としての「家族」が、期間限定のロードショーとして上演されるのが、わたくしども日本の国の「正月」なのである。

 1月1日の朝、私は
 《おせち料理は、「一番おいしいのがかまぼこ」である時点で、ほかのメニューのマズさが証明されている。今年はかまぼこしか食べなかった。もちろん、かまぼこだって、大好きなわけじゃない。かろうじて食べる気持ちになれる食材がかまぼこだけだったという話です。》2020年1月1日-7:33

 《お正月は好きになれない。おせち料理、松飾り、年賀状、お年玉、振り袖……どれもこれも血縁と地縁から一歩も外に出ない閉鎖的な人間関係を反映した陋習に見える。でなくても、オレたちをクソ田舎のムラ社会に引き戻そうとする習俗ではある。そもそも全国民が一斉に休む設定がきもちわるい。》2020年1月1日-23:19

 《なにかと話題の「同調圧力」の基本設定は、たぶん「お正月」から発生している。つまり、「周囲の人々と同じような人間としてふるまうこと」へのやんわりとした強制を、「正月を正月らしく過ごすあらまほしき日本人の姿」として、目に見える形で規範化したのが、お正月という習俗だったりするわけだね。》2020年1月1日-23:36

 《「田舎」という言葉を使うと、毎度のことながら過剰反応する人たちが湧いて出てくる。私としては、「東京とそれ以外の土地」を対比する意味ではなくて、単に「閉鎖的」ぐらいなニュアンスでこの言葉を使用しているのだが、わかってもらえないようだ。》2020年1月2日-0:05

 といういくつかのツイートを書き込んだのだが、結果としては、正月早々、少なからぬ人々の感情を害することになってしまった。

 原因は、「田舎」という言葉の使いかたが無神経だったからだと思っている。

 実のところ、私は、同じミスを、過去にも何回か繰り返している。

 「田舎」という言葉を説明抜きで持ち出す時、私は、「東京生まれ東京育ちの人間」と「地方出身者」を区別するための言葉としてそれを持ち出しているのではない。

 だから、私自身は、この言葉を差別のための言葉であるとは思っていない。

 とはいえ、「田舎」という言葉に差別のニュアンスを感じる人たちがいる以上、私の側に差別の意図があろうがなかろうが、実際にそこに差別が生じていると考えなければならない。

 ことほどさように、差別は、微妙なものだ。このことを強く自覚しなければならない。