歌詞カードには、わりとぞんざいな訳詞が印字されていたのだが、全体として了解困難だった。

 翻訳を担当した人間が、途中で作業を投げ出したのかもしれない。そういう感じの訳文だった。

 英語の歌詞を自力で翻訳することにも挑戦してみたのだが、難解な単語こそ出てこないものの、書いてある内容の抽象性がどうにも手に負えない、やっかいな歌だった。なので、最後まで翻訳することはできなかった。

 ところが、そのやっかいな曲について、何十年後かに、私は、インターネット上で、ある海外通の同好の士(つまりポール・サイモンのファンということ)のブログの中で、実に衝撃的な解釈を発見することになる。

 ブログ主氏によれば、この歌は、ポール・サイモン氏が、ニューヨーク市内のとある中国料理店で見かけた「mother and child reunion」(←「母子再会」)という名前の中華料理のメニュー(鶏肉と鶏卵を使った料理ですね。日本にも「親子丼」というよく似た名前の料理がありますが)名を面白がって、それを題材に作詞した歌だというのだ。

 なんと、わが偏愛するところのヒットソング「母と子の絆」は、親子丼ソングだったのである。

 たしかに、ニワトリとタマゴが中華鍋の中で対話をしている場面を想定しつつ聴き直してみると、

 「こんな奇妙な悲しみに満ちた日に、あたしはあんたたちに偽りの希望を語りはしないよ」
 「あたしゃこんな低いところに寝かされるなんて思ってもみなかった」
 とか
 「さらに深い悲しみがやってくるその日になれば、あの人らは、『あるがままであれ』とかなんとかいうに違いない」
 「だけど、そうは行かないよ。人生が続くかぎり、どうせ同じことが繰り返されるんだから」

 といった調子の奇天烈で難解だった歌詞の断片が、いちいち得心のいく言葉として聴こえてくるではないか。なるほど。

 詳しい歌詞の内容は、JASRACの顔を立てて紹介しない。上記のカギカッコ内の文も、歌詞の正確な翻訳ではない。あくまでもざっとした内容紹介にすぎない。なので、ジャスの人たちは摘発を思いとどまってほしい。

 さて、「母と子の絆」の楽曲としての魅力は、本当に中国料理を題材にした歌であったのかは別にして、歌の中で、母親と思しきキャラクターが繰り返している言い分の身勝手さと素っ頓狂さが、母子がともに遭遇しているかに見える意味不明の悲劇の中で、いきいきと描写されている点だ。

 その「かあちゃんっぽさ」に、私はいつも励まされたものだった。

 なんというのか、母という存在の、圧倒的に理不尽でありながらそれでいてなおかつありがたい後ろ姿が、この歌にある崇高さをもたらしているということだ。

 正月にも似たところがある。

 ただ、その感触の順序は歌の感想とは逆になる。