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 私たちは、悪夢のような政権の後を引き継いだつもりでいる間抜けなリーダーが率いるこのケチくさい地獄の真ん中で、いかにも凡庸な悲劇の主人公におさまっている。しかもその役柄に退屈しはじめている。ということはつまり、何日か後に国会が閉会して、このアンチクライマックスの舞台が昔なじみの不潔な思い出に変わる頃には、誰もが負け犬の衣装を身にまとっているのである。

 今回の経緯を振り返っておく。

 「桜を見る会」の名簿は、すでにシュレッダーで裁断されたことになっている。

 奇妙な話だ。

 毎年開かれるイベントの招待客名簿を、年ごとに裁断廃棄することは、継続性と一貫性を重んじる行政官僚の所作として、いかにも理屈に合わないやりざまだ。

 仮に、個人情報の漏洩を防ぐために名簿の裁断が必要だったのだとしても、普通に考えれば、廃棄のタイミングは、翌年分の名簿が完成した後でなければならなかったはずだ。

 なんとなれば、栄誉ある恒例のイベントにおいて、招待客の人選は、前年の実績を踏まえるのが常道だからだ。まして、「桜を見る会」は、総理主催の国家的なイベントであり、その伝統は戦後からこっち50年以上も続いている。とすれば、前例を踏襲しない選択肢は選びようがないではないか。

 前年とまったく同じメンバーに宛てて招待状を発送するのではないにしても、当年分の招待メンバーと、翌年の招待客を突き合わせて検討する作業は必ずや必要になる。逆に、年ごとにすべての設定をリセットして、招待客選びを毎回ゼロからやり直すタイプの名簿制作手順は、作業効率からして論外だし、それ以上に、先の敗戦以来、営々として受け継いできた「伝統」の名において到底許されるものではない。

 でもまあ、それはそれとして、名簿がすでにこの世に無いことは、残念ながら動かしようのない事実だ。

 大変に認めにくい現実ではあるのだが、私たちは、とにかくこの現実を受け入れなければならない。そうでないと話が先に進まない。

 官房長官は、たしかに名簿を裁断したと言っている。内閣府のお役人たちも異口同音に既製品の言葉を繰り返している。なにより安倍首相ご自身が、シュレッダー作業に従事した担当者の属性をあえて明らかにしてまで、廃棄作業が確実に遂行された旨を証言している。

 とすれば、いち国民としては、お上の言葉を信じるほかにない。

 よろしい。名簿は消えた。ここまでは認めよう。

 いっそ、名簿なんてはじめから存在しなかったことにしてもかまわない。

 さらに言えば、「桜を見る会」自体、開催されたのかどうか疑わしいわけだし、桜にしたところで、そもそも咲いていなかったのかもしれない。要するに、すべては証明不能で、誰も真実にはたどりつけない……というこのポイントこそが、われわれが置かれているありのままの現状なわけだ。ここまではよい。この線までは譲ろう。よろしい。私たちの負けだ。われわれは狂っている……って……いや、間違いだ。取り消す。悪かった。ちょっと言い過ぎた。大丈夫。オレは狂っていない……私は何を言っているのだろう。